- 『「民主主義ってなんだ?』
「民主主義ってなんだ?」
と、あらためて問われてみるとうまく答えられなくても、なんとなく「よきもの」「素晴らしきもの」ぐらいのイメージはわいてくる。人民の人民による人民のための政治なんて定義もあったな。
本書はSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の学生たちと教官でもある高橋源一郎氏による対談。
安保法制に反対し、国会前で、多くの街の路上で、政治の場で、または文壇で「民主主義ってなんだ?!」と叫んでいた彼らが真正面からこのテーマを掘り下げていく。
彼らの発する言葉は、路上に立っていた汗のにおいが感じられるくらいリアルだ。座学や頭だけでの思考ではない。本気でこの国の未来を案じ、立ち上がり、トラメガで「憲法守れ」と叫び続けている生々しいまでの肉体から発する思想がここにある。なおかつ軽やか。路上に根差しながら思想は、心の自由は千年先まで飛んでいきそうだ。
さて、そんな彼らが高橋先生と深めていく「民主主義」は、かんたんによきものチャンチャンで終わらないのです。
「昨日も取材が五件もあって、毎回同じことばかり。(中略)なんで俺がこんなことやってるんだろうと思うんだけど、しょうがないか、民主主義だしって」。
「疲れて疲れてもう嫌でしょ? 大丈夫、古代ギリシャの頃からそうだったんだから」。
2500年前の古代ギリシャの民会は全部自分たちで話しあって決める。約6000人でですよ? 話し合う時は参加しなければならないし、役人でも陪審員でも投票ではなくくじ引きで決めるんだそうだ。嫌でもなんでもあたったらやらないといけない。民主主義は義務なんですね。そりゃあ疲れる。
そして民主主義とはデマゴーグに惑わされるもの、衆愚政治にもなりやすい。人類の歴史のほとんどで民主主義は危険思想だったのだ。
「極端なこというと、八割の国民が人殺しOKにしましょうって言ってもダメなものはダメなわけですよね。たぶん民衆の多数がどうとかっていうのとは別個に、自分にとて正しいことを言うっていうのは大事な訳です」
そう、民主主義とは「自分の中のフェアネス」を常に問われるもの。問われる以上常に思考を強いられる。だから疲れるんじゃないかな。
この議論の展開はぜひ本書で味わっていただきたいが、私が最も考えさせられたのは、この「個人としてのフェアネス」だった。
選挙で多数の議席をとったからと暴走していく政府に、はたしてこれが民主主義か? と思った人も少なくないだろう。現代日本の議会制民主主義は最後は多数決で決着することが多い。だが多数決がはたして=民主主義なのか? これが民主主義か? と疑問を持った時、その答えを「自分の中のフェアネス」に求めていく。間違えることもあるし、人に惑わされることもある。だから絶えず問題は発生し、自分に問い続けることになる。疲れる。でも民主主義は疲れるものなのさ。ゴールはないのさ。軽やかな若者たちにそう言われたような気がした。
疲れるね。でも問いかけを続けて行こう。
安保法制が採決される少し前の彼らのデモに出かけたことがある。せっかくの日曜日、雨の中で立ちんぼだ。
「みんな、なんでこんな休みの日に、雨の日に、デモなんてしなきゃいけないんだって思いますよね? 俺らもそう思ってます。でも仕方ないんですよ、民主主義だから! この2015年の今、生きてるんだからしょうがないんですよ!」
奥田くん、あれにはシビれたよ。今生きてる大人のひとりとして自分の中の問いかけを手放さずにいよう。
最後にちょっとだけ宣伝。
農文協・農業書センターではSEALDsが選書した「自由と民主主義のためのフェア」を開催中。また、店頭ではご希望の方にSEALDsデザインのプラカードを無料で差し上げています。お買い上げの方になんて野暮なことは言わないよ。お気軽にお立ち寄りください。
本屋に寄ってデモに行こう。そして民主主義をともにつくろう。