『言葉を生きる』片岡義男
●今回の書評担当者●流水書房青山店 秋葉直哉
「永遠の緑色」という本のタイトルで、そのひとに強く興味を抱いた。しかし、そのひとの本はたくさんありすぎて、どれから読めばいいのかわからず、読まないままその強い興味だけが心のどこかでちゅうぶらりんになっていた。いや、どれから読めばわからなかったのではない。中学生のとき、古本屋でよく見かけたそのひとの背の赤い文庫の表紙が、そしてタイトルが、どこか苦手な気がして手にとらなかったのだ。そんな思い込みのまま、『永遠の緑色』(岩波書店)という本だけが、そのタイトルだけが強くぼくのなかに残って、それがここ数年のあいだいつのまにか大きくふくらんで、いつかようやく一冊の本を手にとった。『夏と少年の短篇』(ハヤカワ文庫)という本。ひどく清潔な文章に惹きつけられてすぐに読み終えた。それが片岡義男との出会いだった。
次になにを読めばいいものか、やはりまだ赤い文庫には手を出せず、平野甲賀の装幀に魅かれて『日本語の外へ』(筑摩書房)を読むことにした。明晰な文章で綴られた重厚なこの一冊によって、片岡義男という作家について、ぼくが抱いていたイメージが間違っていたことを思い知らされた。アメリカとはなになのか(片岡義男は、「なんなのか」とは書かない。「なになのか」と書く。それが、とてもいいなと思う)、それでは日本とは、日本語とはなになのかを丁寧に綴っていく。そうか、片岡義男はこんな素晴らしいエッセイを書く作家だったのか、と読まずに避けていた自分を恥じた。
それでも、すぐに赤い文庫を読んでみることをしないぼくは本当に怠惰としかいいようがないのだけれど、今年の2月に小西康陽とのコラボレーションブック『僕らのヒットパレード』(国書刊行会)が刊行され、これはすぐに買って読んだ(片岡義男の〈まえがき〉の素晴らしさといったら!)。その感動がまださめやらぬ5月、『言葉を生きる』が刊行された(『僕らのヒットパレード』も『言葉を生きる』も装幀はやっぱり平野甲賀だ)。
冒頭の数行だけで、十分に満足のいく読書体験をしたような気になってしまうほど鮮やかな描写で綴られていく。ハワイのマウイ島で生まれ育った日系二世の父と、数珠屋の末娘として生まれ女学校の先生となった母がどのように出会うこととなり、やがてその二人の子として生まれた自身がその環境のなかで言葉をどのように認識し、受けとめ、成長していったのか。父が仕事場でもらってくるペイパーバックが家に溢れ、それだけでは飽き足らず古本屋で読みもしないペイパーバックを買い漁る。少年片岡義男にとってそれは部屋に丁寧に積みあげていく玩具だったのだ。そのただの玩具としてあったペイパーバックが、それらのひとつずつが、それぞれに何万語という言葉でひとつの世界をかたち作っていることに気づき、やがて読むことを覚える。その過程はとても感動的だ。
小説について書いている終章もとてもいい。居酒屋の壁に隣あわせで貼られていた「塩らっきょう」と「えんどう豆」というメニュー。そこから物語をたちあげていく。喫茶店で珈琲を飲みながら。「塩らっきょうの右隣」というその短篇小説を読みたいと、強く思わせられた。片岡義男の小説を読みたい、そう思った。
そしてこの本を読み終え、ぼくはようやく赤い文庫に手を出すときが、出せるときがやってきたのだと胸がわくわくしている。きっといつか、『永遠の緑色』という、ずっと焦がれていた一冊に出会える日もくるだろう。
- 『リプラールの春』玉置保巳 (2012年5月17日更新)
- 流水書房青山店 秋葉直哉
- 1981年生まれ。新刊書店と古本屋と映画館と喫茶店を行ったり来たり。今秋ニュープリントでついに上映されるらしいロベール・ブレッソンの『白夜』を楽しみにぼんやりと過ごす日々。