『清岡卓行論集成』岩阪恵子、宇佐美斉編

●今回の書評担当者●流水書房青山店 秋葉直哉

 過日、少年を探しに図書館へ出かけた。正確には、鳥博士の少年を探しに。清岡卓行の詩のどこかに、ぼくの探しているその少年はいる。

『清岡卓行論集成』に収録されている宇波彰さんの書いた追悼文。多摩湖の近くに住んでいた清岡卓行家のすぐ(隣人と呼べそうなほど)に宇波さんの家があり、その隣人付き合いの一端がその文章には描かれている。

<清岡さんのお宅は私の家と文字通り指呼の間にあり、隣人としてのおつきあいがあった。私の記憶のなかに生きている清岡さんのことを書き記しておくのは、隣人の責務だと考える。>

 ある日、清岡卓行が道端でみつけた一羽の鳥。その鳥を詩のなかに描こうとしたものの、その鳥の名がわからなかった。そのころ宇波さんは東村山市の野鳥観察会に月に一度、小学生の長男とともに参加していた。そしていつのまにか小学生の男の子のほうが鳥に詳しくなっていったという。それを伝え聞いた清岡卓行が少年を自宅に招いて鳥についていろいろと質問をする。それは「かなり長い時間」にわたっておこなわれたという(お礼はショスタコーヴィッチの交響曲5番のLP)。その後、清岡卓行は「近所の鳥博士の少年が教えてくれた」という一行をもつ詩をかいた、とそこには書かれていた。

 追悼文のこの部分を読んだとき、もしかしたら、とどきどきしながら思った。この小学生の長男というのは、宇波拓さんなのではないだろうか、と。その詩をみつけだして読んでみたいと思った。少年を、鳥博士の少年を探しに行かなければと。

 2008年に『清岡卓行全詩集』(思潮社)が刊行されているからきっと、この本にならその詩が載っているだろう。宇波拓さんの年齢から計算するならばその詩は1980年以後のはずだから、1980年に刊行された『駱駝のうえの音楽』(青土社)から読みはじめることにした。2時間ほど読みすすめたところで、その詩を見つけることができた。1982年刊行の『幼い夢と』(河出書房新社)。年齢が半世紀以上も隔たっている幼い末っ子との思い出が綴られているこの詩集のなかに鳥博士の少年はいた。題名は「凧揚げ」で、幼い子と父との凧揚げ遊びの風景が描かれていく。

ほんとうの鳥の群れが
湖にあらわれた小さな島のうえと
そのまわりの水のうえにいる。
黒いシルエットの群れにしか見えない。
近所の鳥博士の少年が 数日前
あれは茶色の軽鴨で
ギャオギャオ鳴く と教えてくれた。

 鳥博士の少年とほぼ同じ年齢の、この詩集の主役であり対象である末っ子の男の子は、1975年に生まれた秀哉さんだろう。このふたりの少年はきっと幼馴染で、寒い冬になかよく凧揚げをしていたかもしれない。そんなことを想像しながらもういちど宇波彰さんの追悼文を読み返そうと『清岡卓行論集成』を手にして、とても驚いた。この本の装幀はその幼い子、清岡秀哉さんの手になるものだったから。『幼い夢と』が刊行されてから四半世紀後に、その幼い子が自分について書かれた文章を集めた本の装幀を手がけたと知ったら、清岡卓行はとても強く歓びを感じたに違いない。(2000年以降に刊行された清岡卓行の詩集『一瞬』『ひさしぶりのバッハ』や小説『太陽に酔う』『断片と線』の装幀を手がけている吉川秀哉さんという方はやはり清岡秀哉さんなのだろうか。『清岡卓行論集成』の丁寧な本作りと比べてみても、間違いないと思うのだけれど。)

 一冊の本のなかのたった1頁ほどの文章だけでさえ、ひとをとても長い旅に出させる力があるのだろう。それが読書の旅ではなく、本当の旅に出させることさえ。『幼い夢と』のあとがきを読んでもうひとつ感動したことがある。「文藝」連載時の担当編集者が平出隆、そして単行本化の際の担当が飯田貴司だったということなのだけれど、それはまた、別の旅のはなし。
(後日、宇波彰さんのご長男というのは拓さんではなく、そのお兄さんだということを機会がありうかがうことができました。)

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流水書房青山店 秋葉直哉
流水書房青山店 秋葉直哉
1981年生まれ。新刊書店と古本屋と映画館と喫茶店を行ったり来たり。今秋ニュープリントでついに上映されるらしいロベール・ブレッソンの『白夜』を楽しみにぼんやりと過ごす日々。