『この人を見よ』後藤明生

●今回の書評担当者●流水書房青山店 秋葉直哉

 1999年に亡くなっているから、既に13年という歳月が流れている。後藤明生の「この人を見よ」は1990年から福武書店の文芸誌「海燕」で、93年まで足かけ4年間連載されていた。連載中に亡くなってしまったわけではないけれど、途中で中断してしまい、それが未完のまま20年近くものあいだ書籍化されずに放置されていた。これほどの長さの長編はもうひとつ『壁の中』(中央公論社)があるくらいだろう。未完とはいえ原稿用紙1000枚ほどの小説がいまになって書籍化されたことがとてもうれしい。

 谷崎潤一郎の『鍵』の「僕」と同じ年齢、数え年56歳の男が語り手で、その「私」の日記という形式で物語はすすんでいく。「私」は東京に住むサラリーマンで、月曜から金曜は大阪で単身赴任をし、金曜の夜、もしくは土曜に東京へ帰宅という日々を送っている。

 序盤はその東京大阪間の新幹線の往復と、隔週土曜に受講しているカルチャーセンターでの文学教室について、その受講生たちについて語られる。文学教室の講師は作家の「A某」で、この作家は「読むこと」と「書くこと」が表裏となって文学は成立し、どちらか一方だけではニセ札になってしまい成り立たないという「文学=千円札」理論をとなえている。

 後藤明生自身がエッセイなどで「千円札文学論」について書いているから、この「純文学でありながら私小説の系列ではない作家」というのは自分自身のパロディだろう。さらに後藤明生は1989年に近畿大学文芸学部の教授となり、毎週東京大阪を往復する二泊三日の単身赴任生活をしていたはずだから「私」もまた自分自身のはずで、「私」と「A某」は分身でもあるのだと思う。

 後藤明生にとって小説とは、「あらゆるジャンルとの混血=分裂によって自己増殖する超ジャンル」であり、それが「千円札文学論」とあいまって、全然無関係だった作品と作品を、作家と作家を、あっという間に、それこそ千円札の裏表みたいに連続的に繋げていく。『この人を見よ』ではその連続的に繋がっていく過程が、登場人物たちの参加する架空のシンポジウムという形式で描かれていく(500頁ほどの小説のおよそ7割がこのシンポジウムに割かれている)。

 それは『鍵』における三角関係の数種類のパターンの謎解きからはじまり、太宰治「ヴィヨンの妻」「駈込み訴え」「如是我聞」、聖書、志賀直哉、三島由紀夫、芥川龍之介、そして中野重治へ・・・と、アミダ式に横滑りを繰り返して繋がっていく。

 これからいったいどんな展開となるのだろうかというところで終わってしまうのだけれど(まだまだこれからというところで! 書き終えることができていたらいったいどれだけの長さになっていたのだろう)、この続きはあなたが繋げていってくださいとでもいうように途中でばっさりと終わり、以後この続きが書かれることはついになかった。どこからか「ハッハッハ!」という後藤明生の笑い声がきこえてくるようでもある。

 架空シンポジウムが続いているが、このままもう少し続けるか、どうか。この形式に、特にこだわっているわけではない。こだわる理由もないし、こだわる意味もない。というよりも、こだわるべきではない。それは、シンポジウムだけの問題ではない。あらゆる形式に関して同様であって、要するに、ある形式にこだわってしまうことが、無意味なのである。
 こだわったとたん、その形式に縛られたことになるからだ。縛られてはいけない。さまざまな形式を、例えば音符のように、使いこなさなければいけない。音符のように、自在に組み合わせることが出来なければ、形式の意味はない。

 たしか後藤明生はこんな暑い夏の日に亡くなったのだったなと思い、調べてみると8月2日が命日だった。もしかすると、と思い『この人を見よ』の奥付をみるとやはり発行日は8月2日。生誕80年、作家デビュー50年記念出版と帯にある。あと20年で生誕100年。それまでに後藤明生の全集が刊行されることを、ぼくは祈っている。


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流水書房青山店 秋葉直哉
流水書房青山店 秋葉直哉
1981年生まれ。新刊書店と古本屋と映画館と喫茶店を行ったり来たり。今秋ニュープリントでついに上映されるらしいロベール・ブレッソンの『白夜』を楽しみにぼんやりと過ごす日々。