『リスボン日記 寛容をめぐる詩的断想』横木徳久

●今回の書評担当者●流水書房青山店 秋葉直哉

  • リスボン日記―寛容をめぐる詩的断想
  • 『リスボン日記―寛容をめぐる詩的断想』
    横木 徳久
    思潮社
    2,376円(税込)
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 はじめは、ヴィム・ヴェンダースの『リスボン物語』だろうか。あるいはマノエル・ド・オリヴェイラの『階段通りの人々』だったかもしれない。リスボンという街に興味を抱くようになった最初の記憶、それが曖昧になってしまったのはきっと、その後フェルナンド・ペソアと出会ってしまったからだろう。

 リスボンに生まれ、一度は家族の都合で南アフリカへ越したものの、17歳のときに単身リスボンへと戻り、47歳という若さで亡くなるまでその街から離れることのなかったペソア。「pessoa」という言葉はポルトガル語で「人格」という意味をもつらしい。その名は、いくつもの異名をもち、それぞれの人格でまったく異なる詩をかいたペソア自身にとてもよくあっている。最初に手にとった『不安の書』(新思索社)があまりにも強烈で、ベルナルド・ソアレスという架空の、リスボンに住む帳簿係補佐という人物の膨大な独白、断章でできたこの一冊によってリスボンという街の細部がぼくのなかでひとりでに形作られていった。まるでペソアが創造した架空の街であるかのようなイメージで。

『北原白秋』『ポエティカル・クライシス 現代詩の戦意のために』(いずれも思潮社)に次ぐ3冊目、横木徳久さんの『リスボン日記』が刊行された。『北原白秋』が1989年、『ポエティカル・クライシス』が1996年だから、これは実に16年ぶりの著書となる。2006年に思い立って仕事を辞め、ポルトガルの首都リスボンへ移り住むことにした横木さんの日々の苦闘と、生活と、リスボンと日本、ポルトガル詩人について。生計を得るために「日本レストラン」でアルバイトをし、自らが宣伝までこなして個人で日本語教室を開く。嫌悪感さえ抱いていたはずの日本に、しかし日本のイメージを悪くしてはいけないという思いを抱いてしまうという現実。これまで私事には触れずに文章を書いてきた横木さんが、私事を全面にわたって書くという矛盾。

 矛盾を抱えて暮らしているように、矛盾と付き合いながら書き始めることになる。

 けれどその「私事」はとても読ませる。批評家としての眼が、ただの身辺雑記で終わらせることを許さないのだろう。これまでなら絶対に書くことをしなかったであろう中の一篇「愛猫日記」。日本から連れていった雌猫のシエスタと、リスボンの地で飼うことになった3匹の猫が、どうしたら仲良くなれるのかと悩み、日々悪戦苦闘している姿や、誰とも仲良くならず孤高を守り続けるシエスタが許せず、「当分、シエスタと私の確執は続きそうだ。」というくだりにいたっては、だれが書いた文章なのか忘れてしまうほど笑いがこみ上げてくる。

 そんな私事のおかげだろうか、第二部のポルトガルの現代詩人を探訪する一連の「ポルトガル通信」で紹介されている詩人たちがひどく気にかかる。アントニオ・ラモス・ローザの詩集など翻訳がでていたらきっとすぐに購入してしまっただろう。

   ワインを飲むことがもっと明白になればいい
   まなざし自体のまなざしである事
   驚きはこの開かれた空間
   街路
   叫び
   緑色の静寂という大きなタオル
   (「生気あふれて太陽を書く」より)

 横木徳久訳のペソアもとても読みたいのだけれど、あとがきでも触れている「ポルトガル現代詩アンソロジー」の刊行がいまからとても楽しみでしかたがない。これまでのように次の著書まで数年、十数年といわず、来年、再来年には刊行されるといいのだけれど。

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流水書房青山店 秋葉直哉
流水書房青山店 秋葉直哉
1981年生まれ。新刊書店と古本屋と映画館と喫茶店を行ったり来たり。今秋ニュープリントでついに上映されるらしいロベール・ブレッソンの『白夜』を楽しみにぼんやりと過ごす日々。