『やさしい女・白夜』ドストエフスキー
●今回の書評担当者●流水書房青山店 秋葉直哉
ロベール・ブレッソンの『白夜』を観た。1970年の夏から秋にかけて撮影され、次の年のカンヌ映画祭で上映、パリでの公開はさらに翌年の1972年。日本でも1978年2月に公開されたらしい。ところがそれ以降権利の問題でフランス本国でさえ上映されることはほとんどなかったのだという。この機会を見逃してしまったらもう、スクリーンで観る機会は訪れないかもしれない。
原作はドストエフスキーが27歳のとき、1848年に発表した『白夜』。原作の舞台は白夜のあるペテルブルクだが、映画ではパリが舞台となっている。パリにはもちろん白夜はない。だからだろう、タイトルは「夢想家の四夜」とかえられている。冒頭のタイトルクレジットで車のヘッドライトやテールライト、街灯がぼやけて映し出される。それはパリの夜、街に輝く色とりどりの星のように美しい。
舞台がパリとなり、時代も現代だから設定は多少変えられているものの、物語の骨子はほとんどそのまま残してある(月を眺める場面まで!)。空想することだけが生きがいの孤独なジャックがある夜、ポンヌフで自殺しようとしているマルトと出会う。その、夜だけしか会うことのないふたりの四日間の夜の物語。
冒頭、ヒッチハイクをして郊外へと向かい、鼻歌を歌いながらひとりで歩き(すれ違った親子連れに不審な目で見られる)、草原をでんぐり返しまでする幸福そうなジャックの姿を観るだけでその数分間だけでこの映画をたまらなく好きになってしまうのはぼくだけではないだろう。彼の、両腕をすこし体から離して重たそうにぶらさげ、肘から下だけを揺するように歩いていく姿がとても印象的で、それはジャン・ユスターシュの『ぼくの小さな恋人たち』の主人公、13歳のダニエルを思い出させた。そういえばふたりともコーデュロイのジャケットを羽織っている。こんな連想をしてしまうのは、『白夜』でマルタを演じているイザベル・ヴェンガルテンがユスターシュの『ママと娼婦』に出演しているからかもしれない。ユスターシュのブレッソンへの強い思いがそこに現れているのだろう。
それにしても、厳格で禁欲的な映画作りをするブレッソンが六十代最後に撮った映画がなぜこんなにも美しく、艷やかなのだろう。しかしそのことがかえって、胸をうつ映画たらしめている。『白夜』が映画祭などでなく普通にロードショーで上映されているなんて奇跡のようなことなのだろう。いちめんに星のちりばめたような明るい星空の日にもう一度観にいこう、いかなければ。その夜はきっと「まったく奇跡のような夜」になるにちがいない。
- 『リスボン日記 寛容をめぐる詩的断想』横木徳久 (2012年10月18日更新)
- 『K』三木卓 (2012年9月20日更新)
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- 流水書房青山店 秋葉直哉
- 1981年生まれ。新刊書店と古本屋と映画館と喫茶店を行ったり来たり。今秋ニュープリントでついに上映されるらしいロベール・ブレッソンの『白夜』を楽しみにぼんやりと過ごす日々。