『鳩の撃退法』佐藤正午
●今回の書評担当者●HMV & BOOKS TOKYO 鈴木雅代
佐藤正午に傾倒している。
プライベートな時間さえフェアの選書に当てないと間に合わないくらい仕事が詰め詰めだが、どんな隙間でもさっと本を出して彼の作品を読んでいたい。電車に乗れば立ったまま寝れるくらいに睡魔が襲ってくるけれど、目をゴシゴシこすってでも彼の本が読みたい。この原稿を書いている時間さえも惜しいくらい、とにかく彼の本を次々読みたい欲求でいっぱい。
始まりは唯一無二の読書友達が「すごい!すごいんだよ!読むべし!」と鼻息荒くして薦めてきた『鳩の撃退法』だった。佐藤正午......名前は知ってる。でも読んだこと無い......。
かつての人気作家、津田伸一は、とある地方都市に流れつき、風俗店の送迎ドライバーとして働いていた。ある明け方にドーナツショップで言葉を交わした男が翌日、妻と幼い娘とともに忽然と姿を消す事件が起こる。
家族三人の「神隠し」事件から一年と二ヶ月が過ぎた頃、以前から親しくしていた古書店店主(老人)から形見のキャリーバッグが津田の元へ届けられる。中身は数冊の絵本と古本のピーターパン、それに三千枚を超える一万円札の山だった。
ところがその中に偽札が混ざっていることが判明し、本通り裏の『あのひと』までも動きだし......。
失踪事件に偽札......と犯罪の匂いがおおいにするかと思えば、物語の後半からはしばらく執筆していなかった津田が、現実に見聞きした事実をつなぎ合わせて小説を書き始めるというメタフィクションになっており、編集者まで登場して小説の向かう先を言及しながら現実の世界も進んでいくという、小説家が小説を書く現場に読者が立ち会っているような『ライブ感覚』に引き込まれてしまう。
分厚い上下巻を脇目もふらずに一気読みしたくなるようなスピード感があるが、とにかくコトの全貌が読んでも読んでもつかみたいがつかめない。ここかしこに謎が多く散りばめられていて、一行も読み逃せないため慎重にしんちょうに読み進めた。
しかしいわゆるミステリーともジャンルが違う。禍々しい事件の匂いがきな臭く漂い、常に緊迫している状況が続いているにもかかわらず、登場人物の会話は妙にとぼけたり、とにかくふざけていたりする。台詞にに思わずぷふと吹いてしまう。なんだこれ!?と戸惑ったのは最初だけで、むしろそちらのほうにずぶずぶとハマり中毒化し、事件の結末はかなり気になることではあるが、このまま終わらせずにずっとこのふざけた部分を読んでいたい、ゴールになんて向かわなくたっていい!と願うくらい、面白いのだ。
そしてこの6月、佐藤正午は『書くインタビュー 1・2』(小学館)というこれまたすごい本を出した。対面式のインタビューではなくメールでのやり取りのみで、表情が読み取れないため、質問者も回答者も誤解を生まないよう手間をかけて文章にしなければならない。が、やっぱり一筋縄ではいかない著者の回答にすったもんだする、前代未聞の展開の本である。今まで書いた小説の秘話や、いかにして作品をつくっているのか、さらには『鳩の撃退法』に着手する前から上梓した後の話までのドキュメントがみっしり書いてあり、これがまたとんでもなく面白い。
あれ......でもこれほんと、どこまで? 限りなくリアルな虚構を作り出す著者の術中にまんまと嵌まっているような気さえしてくる。
このインタビューの中で、自らを「基本、しらけている」と分析する作家が小説を書く上で最も大事なものは『皮肉にものを見る目』だと答えている。
「言い換えれば、物事を一面のみで見ないということです。こうだと決めつけない。一通りの観点から物事をとらえて、突き進まない。常に醒めた目を持って、反省を怠らない。さらに言い換えれば、言葉に酔わない。酔って泣いたりしない。号泣はもってのほか、どうせなら笑いのめせ」
この皮肉屋で不良っぽくて、また妙に色っぽくもあり ユーモアを欠かさずリズムにおかしみのある佐藤節が、とてもツボだ。
そしてとても津田だ。
津田伸一という元作家を通して、佐藤正午自身の考えが投影されている部分が『鳩の撃退法』には確実にある。
誰に頼まれたのでもない、読まれるあてもない小説を、ついには誰に読まれることを期待して書いていたのかどうかもわからなくなっていたりする小説を、キャンパスノートに鉛筆で書き始める津田伸一。
そもそも小説って必要なのか? という疑問を抱きながらも長い小説を書き終えたあとに、ああ書いたほうがよかったのか こう書き直したほうがよかったのかと、自分以外の誰も気にしないような小さなことが気になる佐藤正午。
『鳩の撃退法』は「なぜ小説家は小説を書くのか?」というキリのない答えを、真正面から書いた小説でもあるのです。
「嘘をほんとうに見せることに僕は惹かれるんです」
嘘をほんとうに見せるために注意深く、手間をかけて、細部にこだわって、物語を一から作り上げている。大の大人を納得させようと最初から最後まで全力で嘘をつきとおしている。
成瀬巳喜男の『乱れ雲』という映画にしびれたという理由を読んで、私の頭もしびれました。
これはまんま、小説を読むということの面白さではないか! そして、これぞ小説の真髄! というものを、約1000ページもの大作の最後の1ページの一行まで、魅せられしびれてしまいました。
- 『名もなき人たちのテーブル』マイケル・オンダーチェ (2015年5月21日更新)
- HMV & BOOKS TOKYO 鈴木雅代
- (旧姓 天羽)
家具を作る仕事から職を換え書店員10年目(たぶん。)今は新しくできるお店の準備をしています。悩みは夢を3本立てくらい見てしまうこと。毎夜 宇宙人と闘ったり、芸能人から言い寄られたりと忙しい。近ごろは新たに開けても空けても本が出てくるダンボール箱の夢にうなされます。誰か見なく なる方法を教えてください。