『夢十夜・他二篇』夏目漱石
●今回の書評担当者●HMV & BOOKS TOKYO 鈴木雅代
ひとに夢の話を聞かされるのは、だれもがちょっと困るだろう。
たいていが意味がなくとりとめもなく、話す方聞く方どちらにとってもくだらないからだ。けれどやはりすごくヘンテコな夢を見た朝は、誰かに話したくてたまらない。だって夢は人と共有できないものだし、だれも見たことのない場面をひとりバッチリ見てしまったという、よくわからない視覚の記憶は、気持ちの高ぶりをどうにも抑えられない。
『こんな夢を見た』でお話が始まる『夢十夜』は漱石が実際見た夢が基になっているのか、思いついた短い話を「夢」としたのかはわからないが、昨日見た夢を字に起こしたらそういえばこういうものかもな、とぼんやり思い返してみたりする。
夢だというリアリティがあるのは、お話にいわゆるオチみたいなものがあまり無いこと。小説ってそもそもが夢で見たような作り話のようであるけれど、やはり小説には訴えるものや行き着く場所もあるはず。しかしここに書かれた夢たちは、ここで? といきなり終わったり、最後まで何の話やらと戸惑うものばかり。漱石の作品の中でも、かなり自由な書き方なのだ。
これがなんともじわじわ記憶に残る。短篇というにはあまりにも短いが、どの話もまったりと印象に残り、尾を引くような後味で、夢の向こう側に思いがけず片足を踏み入れて仕舞ったような感覚に陥る。
特に印象が強いのは第七夜。
「自分」は大きな船に乗っている。船は絶間なく波を切って進んで行くが、何処に向かっているのだかさっぱりわからない。人を捕まえて聞いてもまともに答えてくれない。船には異人がたくさん乗っていてそれぞれに過ごしているが、ぼんやりそれを見ている自分はだんだん不安に、そして大変心細くなってきた。いつ陸に上がれるかもわからず、もういっそこんな船に居るより、身を投げて死んでしまおうかと考える......。
この第七夜の『夢』は、なんと実際目で見ることができるのです。ムットーニのからくり劇場(世田谷文学館)で『漂流者』という作品として、上演されています。
ムットーニこと武藤政彦が制作するボックス式"機械仕掛けのカラクリシアター"は、数十センチ立方ほどの箱の中に組まれた舞台で、人形が音楽に合わせ5分ほどの劇を展開するもの。スイッチを押すと、自動で仕掛けが始まります。
からくりと言っても人形はあまり動かず、光と影、音楽や独特の口上で物語の世界を作っていて、物語が始まり終わるまでの灯りの陰影や、終わると箱がパタリと(これまた自動で)仕舞われるところなど、独特の雰囲気を醸すその不思議な箱に、見る者は切ないような懐かしいような気持ちになり、その刹那的な哀愁にとても惹かれてしまうのです。
物語の最後、「自分」はとうとう船から身を投げてしまう。この場面から淡々と書かれていた文章は急にスピード感を増すけれど、それとは反対に「自分」の体は、実に遅々として波まで落ちていく。その相反する描写が、じわじわとぐずぐずとした後悔の想いとして胸に迫って来る。ムットーニ作品の「自分」も黒くて暗い海へ独り放り出されるさまが表現され、心の底からよせばよかったという猛烈な後悔が波間に消えて行く人形から見て取れるのだ。
短い短い文章から、こんなにも自由にこんなにもひとの記憶に訴えるものが生まれてくる。短いけれど、深い味わいの夏目漱石。すぐ読めてしまうので夏休みの読書感想文にオススメです。安心してください、間に合いますよ。
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- HMV & BOOKS TOKYO 鈴木雅代
- (旧姓 天羽)
家具を作る仕事から職を換え書店員10年目(たぶん。)今は新しくできるお店の準備をしています。悩みは夢を3本立てくらい見てしまうこと。毎夜 宇宙人と闘ったり、芸能人から言い寄られたりと忙しい。近ごろは新たに開けても空けても本が出てくるダンボール箱の夢にうなされます。誰か見なく なる方法を教えてください。