『という、はなし』吉田篤弘:著 フジモトマサル:イラスト

●今回の書評担当者●HMV & BOOKS TOKYO 鈴木雅代

 フジモトマサルの絵に吉田篤弘の文章......大好きな作家同士の合作は、私にとってまるで夢のような作品である。

「読書の情景」を描くことを条件にフジモト氏が絵を描き、その絵を受け取って吉田氏が文を考えたというこの本の成り立ちは、一般的な作り方と反対な作業な気もするが、この二人なら思っても寄らなかったもの以上のものを出してくるはず、と好きな人は思うはず。

 黒猫は夜汽車で、ペンギンは灯台の元で、うさぎは橋の上、レッサーパンダは病室で、りすは台所で──。

「読書をする人はみな本を抱え込んでうつむき、その風情はどこか憂いを帯びたものとなる。しかしその頭の中に今なにが映し出されているのか、それは計り知れない。」

 フジモトマサルの描く動物はかわいいが、「わーかわいい!」とはしゃいでしまうような類ではない。どこか落ち着きがあって、静かで ちょっとだけ皮肉屋な趣きがある。そんな彼らが少しばかり暗めな灯りの下で本を両手でしっかり抱え込んでうつむく様は、なんだか胸をきゅんとさせられるのと同時に、「あちら」と「こちら」を繋ぐ境目の場面を見ているような気がしてならない。それがファンタジーな世界なのか、「あの世」的な世界なのか、いまいち彼らの円らな瞳からは読み取れないのだ。

 そんな不思議な感覚にとらわれる絵に添えられているのは、吉田氏独特のこれまたシニカルでウィットに満ちた文章。

「私の仕事は三重スパイである。ただの三重スパイではない。自己完結型なのだ。つまり「味方」と見せかけつつも、「いや、敵ではないか」という疑念を抱かせ、「そう思わせておいてじつは味方」なのである。そうすることで同僚のスパイたちに緊張感を与えるのが私の任務だ。「二重スパイ」を嗅ぎ分けるための予備訓練にもなっている。」(『寝静まったあとに』)

 読書する情景がそう思わせるのか、絵も文章もどちらも飛び出て主張することはない。ひっそりと面白いことがここで起こっている...ことを私は見つけてしまった! と一人ひっそりにやつく。(実際は公に出版されているので、ひっそりではない。)

 また、いろいろな場所で読書する動物たちを見ていたら、どんな本をどこで読むかという問題は、かなり重要なことではないかという気がしてきた。ゆったり楽しみたいエッセイをファストフード店で読もうとは思わないし、スピード感のあるミステリーなんかは、電車の中で読めば通勤時間も苦痛な満員電車さえもワープできる。

『希有な才能』では、かわうそが駅のベンチに座り一心に本を読んでいる。降りるべき駅に到着したとき、「あと5ページで読了」というタイミングだったのだ。読みながら降り、読みながら駅のベンチに腰かけ、集中して本を読み終える。例えばそういう人を見かけたとき、「あ、いまいいとこなんだろうな。」と、羨ましくも微笑ましい。

 そんな光景を一人でも二人でも多く見かけたい。そういった光景を増やすべく、本屋としては毎日のように本の面白さをどう伝えたら良いかと頭を悩ませる。どうしたら どうしたら どうしたら......。

 最後の章は、古本屋の店主が市場で仕入れたとっておきの本を、とても可愛いらしい女の子のお客さんが見つけて買ってくれたという、本屋には夢と希望を与えてくれる話。

「本はそうして発見されることで生まれ変わる。」
「本は死なない。本は人よりずっと長生きする。」

 フジモト氏がファンタジーな世界なのか、「あの世」的な世界なのか、わからないところに行ってしまった今、私たち本屋にできることは、遺された本を多くの人に発見されるべく、巧みな手口かつ素敵に紹介し続け、本をずっとずっと長生きさせることなのかも知れない。

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HMV & BOOKS TOKYO 鈴木雅代
HMV & BOOKS TOKYO 鈴木雅代
(旧姓 天羽)
家具を作る仕事から職を換え書店員10年目(たぶん。)今は新しくできるお店の準備をしています。悩みは夢を3本立てくらい見てしまうこと。毎夜 宇宙人と闘ったり、芸能人から言い寄られたりと忙しい。近ごろは新たに開けても空けても本が出てくるダンボール箱の夢にうなされます。誰か見なく なる方法を教えてください。