『フォマルハウトの三つの燭台』神林長平
●今回の書評担当者●本のがんこ堂野洲店 原口結希子
第一章の一行目「きょうトースターが死んだ。名前はミウラという。」を読んだ時から今に至るまで、私はどうにかして会社の先輩の三浦さんにこの本を読ませようとしています(「冒頭から同じ名前の人物、いや存在が死んでるんですよ! 読みましょう!」)。
『本は好きだし昔はよく読んだ、でも最近は他のことで毎日が忙しい』という典型的な中年書店員の三浦さんですが、私がみるに神林長平のような『考えさせる』物語作家にはドハマリする筈です。
しかし、「ミウラとはトースターに搭載されたAIのデフォルトネームで、死んだというのも自殺なのかもしれないようです!」、「死んだのではなく誘拐されている可能性も浮上しました!」、私の連日の『ミウラの運命実況報告』にも三浦さんは色好い返事を返してくれません。難解さに定評がある作家のマジックリアリズムばりばりの新作はちょっと敷居が高いのかな......ここは私がさっさと読み終えて現物を押しつけてしまうのがベストの施策か......! 三浦さんのことはいったん忘れて、ミウラに関する物語に集中することにしました。
いつもいつものことなのでファンは淡々と受け入れているのですが、神林長平の小説は普通の言葉で魔法を組み立て、読者の世界を造り替えます。その自然な強引さがどんなものなのかを無理にたとえてみるならば、床の上に零れた一筋の水の流れに目がとまり何の気なしに伸ばした指がふれた次の瞬間、つむじのてっぺんから足の爪の先までどぼんと濁流に呑み込まれて物凄い速さで押し流されていることに気付かされるような不思議です。何が起きているのかはわからないけれど、世界と自分が何だか凄いことになっているのだけはわかるのです。
おぼつかないながらもなんとか理解したいと必死に頭を回転させて、しまいには物語酔いの症状さえ呈し始めた頃合いに、登場人物の決断が積み上げられた結果のクライマックスが訪れて読み手の心に殴りかかってきます。殴られて放り出されて我に返って、初めて気がつきます。魔法が解けている、世界が元に戻っている、わけがわからない、でも間違いなく凄い、格好良い......! トースターの死から始まった物語は世界の終わりにまでたどりつき、犠牲によって回復した世界が読者を物語から解放します。こう説明するとかなり重苦しい作品のようですが、キャラクターや台詞まわしは軽やかで、随所随所に笑えるネタもみつかります。個人的に好きなのが「不況だ! 困った! じゃあ〇〇から税金とったらいい!!」という正気が疑われるような発想で登場し、物語の後半を横断するお役人氏の存在です。
近年の恩田陸の作品に、これとよく似たこころざしを胸にいだいて大活躍する主人公がいました。〇〇にあたる対象は本作とは異なりますが、どちらもなかなかの非道ぶりなので、ぜひ両方読んでみてください(恩田陸作品の方はネタばれを避けたいので題名を伏せます。ここ最近の文庫落ちしていないものにあたってみてください)。といったわけで、我が敬愛すべき先輩三浦さんの課題図書があわせて二冊になりました。きっと喜んでもらえる筈です。
- 『Q&A』恩田陸 (2017年5月25日更新)
- 本のがんこ堂野洲店 原口結希子
- 宇治生まれ滋賀育ち、大体40歳。図書館臨職や大型書店の契約社員を転転としたのち、入社面接でなんとか社長と部長の目を欺くことに成功して本のがんこ堂に拾ってもらいました。それからもう15年は経ちますが、社長は今でもその失敗を後悔していると折にふれては強く私に伝えてきます。好きな仕事は品出しで、得意な仕事は不平不満なしでほどほど元気な長時間労働です。 滋賀県は適度に田舎で適度にひらけたよいところです。琵琶湖と山だけでできているという噂は嘘で、過ごしやすく読書にも適したよい県です。みなさんぜひ滋賀県と本のがんこ堂へお越しください。60歳を越えた今も第一線に立ち、品出し、接客、版元への苦情などオールマイティにこなす社長以下全従業員が真心こめてお待ちしております。