『蝶々の纏足・風葬の教室』山田詠美
●今回の書評担当者●本のがんこ堂野洲店 原口結希子
何年か前の出来事なのですが、閉店間際の閑散とした店内に駆け込んで来たお客様から、「人の殺し方がわかる本はないか」と怒鳴りつけるような勢いで問い合わせを受けたことがあります。
震えあがり、穏便に済ませたいとしか考えられなくなった私は「そういう本はありません」とお答えして、無言で踵を返すお客様の背中をほっとしながら見送ったのですが、その後しばらくは、とても人殺しなんて出来そうにもない、中学校にさえあがっていないような小さな肩が目に焼きついて離れず、「ひどい失敗をしてしまった」という思いが時間がたつほど大きくなっていって、今でも忘れられない反省しなければならない思い出になっています。
誰かを消したい、殺したい、そんなふうに考えるほど子供が追い詰められてしまう状況とは一体どんなものなのでしょうか。そんな子供に「人を殺すための本がほしい」と求められたときに、回答となりうる本なんてあるのでしょうか。あるのです。それが山田詠美の「風葬の教室」という短篇小説です。
「風葬の教室」は小学生の女の子が、教室の中で孤立し、陰口を叩かれ所有物を隠され小突かれ蹴り飛ばされ髪をむしられ死ねと罵られ、耐えきれずに死んでしまおうとする話です。発端は些細なことながら、祭のような熱狂はやがて教師まで加担するほど徹底したいじめになっていきます。大人びた少女としてかかれている主人公は、状況を客観的にみる冷静さを保ちつつも、心は絶望に流され自殺による復讐しか残されていないと思うところまで追い詰められていきます。
それをとどまらせたのは、自分が死ぬことで家族を苦しめることができないという責任感と、同じ立場だったときにいじめてきた相手を心の中で殺していたという姉の告白でした。主人公は姉に倣いクラスメイトを殺していきます。彼らの死体は野ざらしのままにされ、「風葬の教室」という題名が示す主人公の心象風景が読者の視界と重ねられるようにして、物語の幕が引かれます。
昔読んだときには主人公の心の強さに圧倒されるばかりでしたが、年をとった今になって再読してみると、殺さないでほしい、死なないでほしい、他人との心の衝突をのりこえて生きていってほしいという作者の創作意図がひしひしと伝わってきて、その優しさに数十年越しの感謝と感動を覚えました。
いつの時代にも傷つきやすい子供、人付き合いに困難を覚えるタイプの子供がいると思いますが、彼らに「こんな闘い方もある」と丁寧に教え諭してくれている本です。重圧に立ち向かえず逃げ出すことも出来ないときに、自分の頭の中だけで刃を振るい、心の過剰防衛を駆使して生き延びよと告げてくれる本です。この本やそのほか沢山の本のおかげで私は無事に大人になりました。けれどあの子はどうだったのでしょう。本でもそれ以外の何かでも彼の助けになるものがあるようにと願うことしかできません。
- 『フォマルハウトの三つの燭台』神林長平 (2017年6月22日更新)
- 『Q&A』恩田陸 (2017年5月25日更新)
- 本のがんこ堂野洲店 原口結希子
- 宇治生まれ滋賀育ち、大体40歳。図書館臨職や大型書店の契約社員を転転としたのち、入社面接でなんとか社長と部長の目を欺くことに成功して本のがんこ堂に拾ってもらいました。それからもう15年は経ちますが、社長は今でもその失敗を後悔していると折にふれては強く私に伝えてきます。好きな仕事は品出しで、得意な仕事は不平不満なしでほどほど元気な長時間労働です。 滋賀県は適度に田舎で適度にひらけたよいところです。琵琶湖と山だけでできているという噂は嘘で、過ごしやすく読書にも適したよい県です。みなさんぜひ滋賀県と本のがんこ堂へお越しください。60歳を越えた今も第一線に立ち、品出し、接客、版元への苦情などオールマイティにこなす社長以下全従業員が真心こめてお待ちしております。