『墓地を見おろす家』小池真理子
●今回の書評担当者●本のがんこ堂野洲店 原口結希子
夏ですね、暑いです。鼻のうえまでマフラーで覆っても凍えたあの道、思いも寄らぬ箇所から差し込んでくるすきま風に感動さえ覚えさせられたこの建物、たかだか数ヶ月前の思い出が嘘のように暑いです。私たちを骨まで揺さぶったあの寒さはいったいどこへ行ってしまったのでしょうか、今ならばすこしは歓迎できるのに。ならば呼び戻しましょう、脳の奥、背筋の裏、足の爪先から滲み出て体も心も凍りつかせてしまうような恐怖によって。小池真理子『墓地を見おろす家』は私がこれまでの人生で出逢ってきたなかで一番の剛腕ホラーです。最初の一行から終わりの頁までわくわくするような怖さで溢れかえった、昔から好きで好きで仕方ない小説です。
ペットの文鳥が引っ越しの翌朝に冷たくなっていたというぞっとするエピソードから始まる物語は、曰くのある土地にそれと知らずに引っ越してきた家族を怪奇現象が襲うという怪談の王道をなぞるように進んでいきます。ホラーとして目新しいようなことはないのですが、登場人物たちが遭遇する出来事の描写の一発一発が重たく怖く、またそれが静かに、しかし確実に深刻化していくのがたまらないほど怖くて目を離すことが出来ません。主人公はごくごく普通の主婦です。怪現象に怖れを抱き家族を守ろうとするのですが、それほど多くのことが出来るわけではありません。その土地のそもそもの因縁や、今になって異常な出来事が頻発するようになった理由らしきものを突き止めるところまでは到達したものの、怪異に嬲られ続け最終的には逃げ出すことも叶わずに家族ごと最後の時を待つのみとなったところで幕が下り、その先の運命が語られることはありません。
ですがこれは何の抵抗も出来ない弱い存在の人間がただただいたぶられ死んでいくだけの物語ではありません。死を目前にした家族の最後の語らいを描いた結びの数頁は、迫り来る恐怖と絶望への緊迫感と、それでも希望とお互いへの愛情を喪うことがない人間の烈しい生命力を描きあげていて、何度読み返しても喉がからからになるほどしびれます。
「遠からず、もっと残酷な目に遭うとしても、私たちは、今、こうして生きている......」という主人公の最後の述懐が私は大好きで、座右の銘にしたいぐらいです。
今からおおよそ三十年前、1988年に発表された作品ですので生活様式などに多少違和感を覚える場面があるかもしれません(炊飯器がガス式なので停電中でもご飯が炊けるなんてことは若い世代にはわからないでしょう)が、読書の妨げになることはありません。21世紀の夏に新鮮な気持ちでこの物語にふれることが出来る人がいると思うと、それだけでとても嬉しい気持ちになります。静かな部屋でじっくり取り組んで、ありえない寒さをめいいっぱい感じてみてください。
- 『蝶々の纏足・風葬の教室』山田詠美 (2017年7月27日更新)
- 『フォマルハウトの三つの燭台』神林長平 (2017年6月22日更新)
- 『Q&A』恩田陸 (2017年5月25日更新)
- 本のがんこ堂野洲店 原口結希子
- 宇治生まれ滋賀育ち、大体40歳。図書館臨職や大型書店の契約社員を転転としたのち、入社面接でなんとか社長と部長の目を欺くことに成功して本のがんこ堂に拾ってもらいました。それからもう15年は経ちますが、社長は今でもその失敗を後悔していると折にふれては強く私に伝えてきます。好きな仕事は品出しで、得意な仕事は不平不満なしでほどほど元気な長時間労働です。 滋賀県は適度に田舎で適度にひらけたよいところです。琵琶湖と山だけでできているという噂は嘘で、過ごしやすく読書にも適したよい県です。みなさんぜひ滋賀県と本のがんこ堂へお越しください。60歳を越えた今も第一線に立ち、品出し、接客、版元への苦情などオールマイティにこなす社長以下全従業員が真心こめてお待ちしております。