『悦ちゃん』獅子文六

●今回の書評担当者●本のがんこ堂野洲店 原口結希子

 小学生の頃にふとしたきっかけでわかったのですが、私の母は産みの母とは違う人でした。子供ながら衝撃をうけましたがそれより何より「そうか、それで私はこんなにお母さんが嫌いで、お母さんも私が嫌いで、いやなことばかり言って怒るんだな」と得心がいった気持ちになったのを覚えています。

 それからはずっと、自分の人生に起こる悪いこと、自分の性格のいやなところ、自分の駄目なところは全部二人の母のせいだということになりました。同級生とうまくいかないのも、体育の授業で落ちこぼれるのも、本を読む以外に楽しく思えることがないのも、お小遣いが少ないのも、全部全部最初のお母さんが私を産んですぐに死んでしまったせい、次のお母さんが私のことをきらっていて小さい時のようには優しくしてくれないせい......。

 その一方で小心者の私は「お母さんが本当のお母さんではないと気付いたことを、お母さんに気付かれてはいけない」とも思います。両親が私に隠し事をしているのには理由があって、自分もそれに合わせて体面を保たないといけないと考えていました。

 ですが世の中には継母継子の確執についての物語が溢れかえっています。茶の間で流しているテレビのニュースやドラマで、継母が継子を殺す、継子が反抗して家を出るなどと言ったシーンがあると怖くて暗い気持ちになりました。そばにいて同じものをみている母はどう思っているのだろうかと考えると、息苦しくて消えてなくなってしまいたくなります。継母と継子の関係を題材にしたドラマを書いた脚本家、出演した俳優、放送したテレビ局、みんなひどい目にあえばいいと、そんな時はいつも思っていました。現代では報道にしても娯楽にしても「言葉狩り」と揶揄されるほど公での言葉遣いには注意が払われるようになりつつありますが、個人的にはそれにどれほどの意味があるのかと疑問を抱いています。「シンデレラは継母にいじめられました」という一文だけでも、傷つけられたと感じて憎悪の塊になる人間だっているのです。

 私と母との関係はそれからいくつかのあれやこれやを経て、今ではすっかり落ち着いたものになりました。『悦ちゃん』という作品について知ったのは大人になってからでしたが、獅子文六が『娘と私』で本作の執筆動機を明かした数行の文章が素晴らしくて、こちらだけでも荒れていた頃の子供の自分に読ませてやれたらなと思います。少し長くなりますが引用します。

それは、私が、いつも千鶴子に、口を酸ッぱくしていってること──血の伝わらない母と子の間でも、幸福が可能だ、ということである。それを、テーマにすることである(中略)世間には継母子関係の家庭が、沢山ある。そういう人々に、千鶴子にいうのと同じ言葉を聞かしてあげたい。ママハハなんて言葉に、拘泥する必要は、少しもない。気持の持ちようで、立派に幸福になれる。実の母子とはちがうが、それに劣らない、愛情の結びつきようが、できないことはない。そういうことを、私は、書いてみたかった。日本古来の暗い、不快な継母物語を、粉砕するような、明るい、快活な小説に、仕立ててやろうと、考えた。(獅子文六『娘と私』ちくま文庫 252頁)

 私も今の歳になってようやく、「まったくその通りだ」と思うようになりました。「お母さん」についてよく考える人も、どうだっていい人も、どんな人が読んでも楽しくて少し悲しい、日本の偉大なお母さん小説です。お母さんの立派さに比べてお父さんのだらしなさにもなかなか目をみはるものがあって、そんなところにも読み応えを感じられると思いますよ。

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本のがんこ堂野洲店 原口結希子
本のがんこ堂野洲店 原口結希子
宇治生まれ滋賀育ち、大体40歳。図書館臨職や大型書店の契約社員を転転としたのち、入社面接でなんとか社長と部長の目を欺くことに成功して本のがんこ堂に拾ってもらいました。それからもう15年は経ちますが、社長は今でもその失敗を後悔していると折にふれては強く私に伝えてきます。好きな仕事は品出しで、得意な仕事は不平不満なしでほどほど元気な長時間労働です。 滋賀県は適度に田舎で適度にひらけたよいところです。琵琶湖と山だけでできているという噂は嘘で、過ごしやすく読書にも適したよい県です。みなさんぜひ滋賀県と本のがんこ堂へお越しください。60歳を越えた今も第一線に立ち、品出し、接客、版元への苦情などオールマイティにこなす社長以下全従業員が真心こめてお待ちしております。