『チャイルド44』トム・ロブ スミス
●今回の書評担当者●豊川堂カルミア店 林毅
「月にどれだけ読むの」
しばしばこう尋ねられることがあるのですが、いやそれほどたいした冊数じゃないわけで、実際のところは。読みたい本をすべて読もうとするのなら、仕事を放り投げても時間が足りません。読む人ひとりに書く人たくさん。無勢に多勢では、端から勝負になりませんから。
なので、毎日が「味見」の連続。立ち読み、歩き読み、休憩読み(そんな言葉はないか)と、ひたすら捲る。気になった本は、とりあえず頭から50頁ほどに目を通します。そこから面白そうな本を拾って(それだけなら月に何十冊も目を通せるので)そこから選抜したものを、最後まで読むことにしています。初めて読む作家については、とくにそれが重要(面白かったりするとつい全部読んでしまったりも、まま有りますが)。
全部読めればそれにこしたことはありませんが、時間がなくなって結局手が出せない本が出てくる危険性(何が危険?)があるので、そうすると読むべき本を、結果見逃してしまうことになり、まずは出来るだけ手を広げておきましょうというのが私の作戦。(書評家の方々は、どうやって読む本の選別をしているのでしょうか)
翻訳本はいざブームにならないとなかなか売れないことが多くて(ブームになればほっといても売れるわけで)、あまり最近は手を出さないことが多かったのですが、この新人の小説はなんだか面白そうなので読み始めたら、これがこれが想像以上にいい出来で、結局最後までそのまま読んでしまいました。
こういう本を読み逃さないためにも、日々「味見」道に精進せねばなりません。(とはいっても間違いなく評判になる作品なので、結局後で読むかなとは思いましたが)
物語の舞台は、スターリン体制下のソ連。
主人公は、国家保安省の有能な捜査官であるレオ。
国家を妄信し忠誠を尽くす彼は、スパイ容疑をかけられた医者を追うなか、部下の計略に嵌められ、東部の田舎に妻とともに民警として左遷されてしまう。そこで見た少女の惨殺死体は、モスクワ時代に事故として処理してしまっていた少年の遺体によく似ていた。疑問を抱いた彼は、独自に捜査を始める。
はたして全国各地で少年少女が奇妙な「しるし」を残され、惨殺されていた。しかし革命により誕生した理想の国家には、犯罪が存在してはならない。連続猟奇殺人を認めない国は、別に犯人を仕立て次々処刑していく。彼はタブーを冒し危険にさらされながらも、真犯人を追っていく―。
連続殺人鬼が出てくるからといってもサイコな小説ではなく(確かに次々と惨殺されていくのだけれど)、警察小説とも謎解きの小説とも言いにくい(確かに犯人には何者かは不明であるけれど)。このサスペンス小説はそれでは括れない重厚な物語を語っている。欺瞞と恐怖に満ちた社会そのものの怖さと、国家のために生きなければ生きていけない人たちの現実。それが重くのしかかる。そして主人公の過去と、妻の本音。これはひとりの男の再生の物語であるとともに、夫婦の再生の物語でもある。
上巻ではソ連社会の現実をまざまざと見せつけられ、下巻に入ると(これが一気に)波乱の展開がたたみかけるように訪れる。(ダイハードの彼も逃げ出しそうな決死のシーンの連続に)前半のさまざまなエピソードも重なり合って一気に結末へと向かう。
ラストのエピソードには、涙が出そうでした。いや、お見事。
今年読んだ中では、これがいちばん。
「これだけの傑作には滅多に出会えないぞ」
(と思いながらも、次々出版される本の中にはまだまだもっとすごいのがあるのではないかと、次なる本の頁をまた今日も捲っています)
- 『アカペラ』山本 文緒 (2008年9月18日更新)
- 『告白』湊 かなえ (2008年8月21日更新)
- 『さよなら渓谷』吉田 修一 (2008年7月17日更新)
- 豊川堂カルミア店 林毅
- 江戸川乱歩を読んだ小学生。アガサ・クリスティに夢中になった中学生。松本清張にふけった高校生。文字があれば何でも来いだった大学生。(東京の空は夜も明るいからと)二宮金次郎さながらに、歩きつつ本を捲った(背中には何も背負ってなかったけれども)。大学を卒業するも就職はままならず、なぜだか編集プロダクションにお世話になり、編集見習い生活。某男性誌では「あなたのパンツを見せてください」に突進し、某ゴルフ雑誌では(ルールも知らないのに)ゴルフ場にも通う。26歳ではたと気づき、珍本奇本がこれでもかと並ぶので有名な阿佐ヶ谷の本屋に転職。程なく帰郷し、創業明治7年のレトロな本屋に勤めるようになって、はや16年。日々本を眺め、頁をめくりながら、いつか本を読むだけで生活できないものかと、密かに思っていたりする。本とお酒と阪神タイガース、ネコに競馬をこよなく愛する。 1963年愛知県赤羽根町生まれ。