『九つの、物語』

●今回の書評担当者●紀伊國屋書店松戸伊勢丹店 平野千恵子

お兄ちゃん(が出てくる小説)が好きです。
それも結構スーパーお兄ちゃんがいい。頭が良くて、カッコよくてモテモテ。スポーツもできるし料理も得意、服のセンスもよければ文句ありません。
え? そんなヤツいるかって? や、現実には確かに難しいかもしれないけれど小説の中にはわりといたりするんですねぇ。西加奈子の『さくら』、瀬尾まいこの『幸福な食卓』、島本理生の『生まれる森』とか。長女なのでお兄ちゃんという存在に憧れがあるのだと、一応自分の名誉のために言い訳しておきます。

今回ご紹介する小説の中にもそんなスーパーお兄ちゃんが出てきます。
物語は大学生のゆきなが一人で暮らしている家に、ある日突然"いないはずの"兄・禎文
が帰ってくるところから始まります。二年前に死んだ兄の出現に戸惑いつつもそれを受け入れ、再び共に暮らし始めるゆきな。穏やかで優しい恋人の香月君も交えながら奇妙で心よい生活がこのまま続いていくように思えたのですが・・・。

九つの物語で構成されたこの本は、それぞれの章が太宰治や田山花袋、内田百閒などの近代文学作品のタイトルになっています。社交的な兄に比べて少し内省的なゆきなが、読書家だった兄の蔵書を読みながらその時の自分に重ね合わせたり考えたりしながら物語は進んでいくのですが、読者である私たちにとってもそれらの作品への窓口になっていて読みたくなるような作りをしています。
さらにこの物語には毎回とてもおいしそうな食事のシーンが出てきます。これって家族小説には絶対欠かせませんよね。適当に作っている時も力作を作る時も、誰かを思って作る優しさ、誰かと一緒に食べる喜び、それって幸せや生きることの象徴だから、とてもおいしそうに書かれた食事のシーンが大好きです。
お兄ちゃんはユーレイだけど、料理も作れるし食事もするし、本棚の整理もできるし電車に乗って一緒に旅行にも行ける。デートもしょっちゅう。物質に触ることのできるユーレイって珍しいです。自分の意思で他人に姿を見せたり消したりもできるところはユーレイっぽいけど、あとは生きている頃とほとんど変わらない日々。

でも読み進むにつれ、この物語がただほんわか優しいだけの世界じゃないことがだんだんわかってきます。確定的でないその時ですら、二人が暮らす日常のあちこちにいろんな予感が潜んでいます。
私のために世界は壊れてはくれない。
どんなに哀しい出来事があったとしても毎日は必ず過ぎてゆく、止まらない。それでは私に残された方法は、壊れてくれない世界の代わりに自分の心を壊すことしかないのだろうか。

世界は私のためには壊れてはくれない。でもこの本を読むと、そんな世界の中でほんの少しだけ楽に息ができるような気持ちになれるかもしれません。

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紀伊國屋書店松戸伊勢丹店 平野千恵子
紀伊國屋書店松戸伊勢丹店 平野千恵子
終わりかけとはいえバブルの頃に、本と芝居が好きだというだけで今の店に就職決めました。紀伊國屋書店新宿本店にて辞書・児童書・語学・雑誌、文学新刊担当を経て、松戸伊勢丹店に勤務。初めての別天地でドキドキの毎日を送っている。最近思うのは、今の私を作っているのは若い時読んだラノベと漫画だということ。私の話す怪しい知識の殆どはここから来てます。ここ数年”締切ギリギリ人生脱却”目指し奮闘中ですが、果たして毎月の原稿の遅さに担当の方の胃に穴が開かないことを祈っております。