『僕は秋子に借りがある』森博嗣
●今回の書評担当者●有隣堂アトレ新浦安店 広沢友樹
3月22日(月)名古屋大学 旭屋書店ラシック店
学生の頃の読書といえば森博嗣でした。建築学科二年目の初冬に友人から「すべてがFになる」が良いと薦められて、以降当時の最新刊「有限と微小のパン」まで、とても好ましい心持ちで一気に読み進めました。10年が経ちましたが私はその小説のセンスとともに、森博嗣の研究者としての一面をとても尊敬しています。2005年に所属していた名古屋大学を辞してしまいましたが、それがとても残念でなりません。「フレッシュコンクリートの流動特性とその予測」(セメントジャーナル社2004年刊)が森氏の研究を知る良い手引きとなるでしょう。近著「自由をつくる自在に生きる」や「創るセンス工作の思考」(ともに集英社新書)によって彼の思考の一端に触れることもできますが、この場では小説をご紹介したいと思います。森博嗣自選短編集「僕は秋子に借りがある」に収録されている表題作と「キシマ先生の静かな生活」の二編が私の心に残る名作です。
「僕は秋子に借りがある」は、大学の学食で話しかけてきた見ず知らずの女の子、秋子に二日間連れまわされる「僕のこれまでの人生で最高にミステリアスでトリッキィな思い出」です。母親に靴を隠されても、めげずに一度だけ使ったキャラバンシューズを履いて、歩いて僕に会いに来たと喋る彼女。その距離30キロ。尋常じゃない。信じられない。何のために...? 家に置いておくと捨てられると、分厚いファッション雑誌を何冊も紙袋に入れて抱えている彼女。熱いラーメンを猫舌ながら一生懸命食べる合間に「ごめんね」と5回も謝る彼女。二日間一緒に過ごした彼女とはそれっきり会わない。電話番号も住所も知らない。彼女はいったい...
「キシマ先生の静かな生活」。午前零時に起床する大学助手のキシマ先生は、常に研究の新しい発想を考えることで頭がいっぱいです。その研究への厳しい姿勢に「キシマのほうがエキセントリックだ」などと囁かれています。懇親会の場でもひとり佇むしかないキシマ先生と近いテーマで研究を始めた僕は徐々に師弟関係の絆を深めていきます。「学問には王道しかない」という力強い言葉を聞き、専門書で埋まる自宅でブランデーを酌み交わし、先生の恋愛模様もすぐそばで感じ取っていくのです。しかし月日が経ち、同じ研究者となった僕は勤務地も離れ、先生に送った年賀状が宛先不明で戻ってきてしまうに至り、音信が途絶えてしまうのです。
この二つの短編を読むと、人との出会いが、案外脆く儚いもの、また生涯にわたって生きる指針にもなりうるもの、という二つの側面があるのかもしれないと気付かされます。
出会った人とは同じ時代を、そして同じ時間を共有しています。
身近な人を大切にする。ただそれだけのことで、生きてゆく長い旅路の仲間が増えるように私には思えてならないのです。
さて最後の舞台は名古屋です。森博嗣の作品のほとんどは地元名古屋ものです。
大学描写は名古屋大学を指し示しています。地下鉄東山線名古屋大学駅で下車するとすぐそこがキャンパスの真ん中です。校舎の改築が進んでいる最中で、学食を含めて皆新しい建築に生まれ変わっています。そのなかで建築家槇文彦が設計した豊田講堂は、東大安田講堂とは趣が異なり、低層で横に伸びやかな美しい造形を今でも残しています。
帰りに栄に立ち寄り旭屋書店を訪れました。全体的にガラス越しに開放的な風景が広がり明るい店内。両端の閲覧席とキッズスペースは破格に気持ちいい空間になっており、思わずコーヒーが飲みたくなります。新聞書評スペースが整い、新名古屋市長河村たかしさんの書籍も一緒に並んでいます。
一年間ありがとうございました。
「読んでますよ」と一声掛けていただけたことが、どんなに励みになったことか...。
そんな皆さんにまた書評でお会いできればいいなと強く思っています。
書評で恩返しができるように頑張ります。
ひとまずお別れです。
本当にありがとうございました。
- 『「神様のカルテ」 』夏川草介 (2010年3月8日更新)
- 『幸福の遊戯』角田光代 (2010年2月4日更新)
- 『天地明察』冲方丁 (2010年1月8日更新)
- 有隣堂アトレ新浦安店 広沢友樹
- 1978年東京生まれ。物心ついた中学・高校時代を建築学と声優を目指して過ごす。高校では放送部に所属し、朗読を3年間経験しました。東海大学建築学科に入学後、最初の夏休みを前にして、本でも読むかノと購買で初めて能動的に手に取った本が二階堂黎人の「聖アウスラ修道院の惨劇」でした。以後、ミステリーと女性作家の純文学、及び専攻の建築書を読むようになります。趣味の書店・美術展めぐりが楽しかったので、これは仕事にしても大丈夫かなと思い、書店ばかりで就活を始め、縁あり入社を許される。入社5年目。人間をおろそかにしない。仕事も、会社も、小説も、建築も、生活も、そうでありたい。そうであってほしい。