『ゼロ・アワー』中山可穂

●今回の書評担当者●ときわ書房千城台店 片山恭子

 この3年、続けて新作が読めて嬉しいぞ。プロフィールに図々しくも偏愛する作家に挙げさせていただいた中山可穂さんの新作『ゼロ・アワー』をご紹介! 森山大道氏の写真にも否応なしに胸が高鳴ります。

 午前0時すぎ、とある住宅街の一軒にハムレットと呼ばれる殺し屋が侵入、タンゴを踊る夫婦と5歳の息子を殺す場面から物語は始まります。一家4人の暗殺を命じられたものの、娘がバレエの合宿で不在の上、飼い猫のアストルに思わぬ攻撃を受け、彼のDNAを爪にたっぷりと蓄えたことからやむなくアストルを連れ去ることに。更にこの殺し屋ハムレット、無類のタンゴ好きで、夫婦のレコードコレクションの中からピアソラの「タンゴ・ゼロ・アワー」を持ち去ります。この悲劇に見舞われた一家でただ1人難を逃れた少女がヒロインの広海。後に復讐を誓う美しき殺し屋、ロミオとなります。

 どこか世田谷一家殺害事件を連想させる幕開けから一転、舞台はハムレットの逃亡劇の香港と、広海のたった一人の肉親の祖父・新垣龍三の住まうアルゼンチンへ。

 可穂さんの作品の魅力は、うっとりするような煌めく文章と息もつかせぬ展開に、「今日はここまで」と決めて読むなど無意味かつ不可能な中毒性にあります。舞台を観ているかのような臨場感に溢れ、著者ならではの演劇への深い愛を感じる仕掛けが随所にちりばめられています。ハムレットの属する裏組織、沙翁商会(!)を束ねる謎の人物がキング・リア。そこで暗躍する人々もパックや、フォルスタッフなどのコードネームを名乗り、広海が初めて沙翁商会のメンバーと接触する場に選ばれたのが、劇場を改装した世界で二番目に美しいといわれるアテネオ書店。

 ゆるふわ、ムズキュンとは無縁の過酷な青春時代を過ごした広海、殺し屋となるにはハードボイルドなバックグラウンドの想像に難くないハムレット。二人のミロンガでの邂逅を描いたシーンでは、両者の孤独が浮き彫りになり、切なさMAXです。

 3月に行われた著者トークショーでも触れておられましたが、猫のアストルのもう一つの物語『ドブレAの悲しみ』(『サイゴン・タンゴ・カフェ』角川文庫所収)、こちらもぜひ(可穂さんは短編も素晴らしいのです!)。思えば『ケッヘル』を読んだ時もゴシックミステリの要素に衝撃を受けましたが、ファンの贔屓目でなく、ジャンルで括ることの出来ない多彩な引出しを持つ作家であるのを再認識。 

 悪魔のように細心に、天使のように大胆に。ダンスは優雅に、復讐は残酷に。ロミオは果たして本懐を遂げることができるのか、そして愛猫アストルとの再会は叶うのか──。本作では明かされないキング・リアの正体、前半部でハムレットを追い詰め存在感光る沢渡刑事の更なるエピソードなど続編を熱望!

 どうぞこのめくるめくノワールの快楽に、存分に酔い痴れていただきたい!

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ときわ書房千城台店 片山恭子
ときわ書房千城台店 片山恭子
1971年小倉生まれの岸和田育ち。初めて覚えた小倉百人一首は紫式部だが、学生時代に枕草子の講義にハマり清少納言贔屓に。転職・放浪で落ち着かない20代の終わり頃、同社に拾われる。瑞江店、本八幡店を経て3店舗め。特技は絶対音感(役に立ちません)。中山可穂、吉野朔実を偏愛。馬が好き。