『ロジャー・フェデラー伝』クリス・バウワース
●今回の書評担当者●ときわ書房千城台店 片山恭子
私はロジャー・フェデラーが好きだ。部屋にポスターを貼ってしまうほどに。ファーストネームの方で呼んでしまうほどに。彼のFacebookやInstagramでのフォロワー数は凄まじく、熱いコメントにたじろぎつつ、公式発表を逃さぬよう注視するファンの一人だ。
テニスの話題になることが殆どないので(どうでもいいことだが)、わりと親しい間柄でもこのことを知る人はあまりいない。
世界の強豪と互角に戦える日本人選手の活躍で、これまでになく高まるテニス熱。そして数ある大会の中で最も有名かつ注目を集めるのがこの原稿を書いている今、絶賛開催中のウィンブルドンだ。2回戦で惜しくも敗退した日本人の杉田選手の試合は、テニスが紳士・淑女のスポーツであることを、改めて教えてくれる素晴らしい内容だったと思う。
本書「ロジャー・フェデラー伝」は、休養発表後の昨年9月に発売された。昨シーズン後半を悲しみのうちに迎えたファンにとって、大変ありがたい本だ。大物セレブながらゴシップが極端に少なく、報道される姿に破綻がないゆえ、優等生的な印象を持つ人も多いだろうか。人は自分を映す鏡なら、口が堅く彼に尽す人びとに囲まれているのが、フェデラー自身の人柄を表す何よりの証拠だろう。そうした信頼関係がいかに築きあげられたかや、武器である強力で多彩なショットと舞うようなフォームの美しさ、年と共に攻撃スタイルをアップデートし続ける姿勢、自身の財団を通して支援するチャリティー活動への熱心な取り組み、品のあるコートマナー、ボールパーソンへの振る舞いににじむ優しさ。これらの魅力ひとつひとつ全てに根拠があるのを本書は克明に解き明かす。
感情を抑えられなかった幼少期、プレイステーションで遊んだり、金髪に染めたり、トイレ掃除の罰を受けた反抗期などファン心をくすぐるエピソードに親近感が湧く一方、2度目のウィンブルドン優勝のときにコーチ不在だった(!)という驚愕の事実は、改めてその強靭な精神力と天才ぶりを知らしめる。
グローバルな視点、自分は何者かということを自覚する賢さ、体調管理、プロとしての矜持、戦略、チャリティーなどにおいて彼が成してきたことは、人生の岐路に立つ若者のみならず、素晴らしいビジネス書としても役立ちそうだ。ラケットを投げつけるような感情の起伏の激しい性格だった彼が、コートで称賛を集めるまでに至る成長過程は、ファンならずとも興味深い。出会いと別れの中でとりわけコーチのピーター・カーターとの別れが彼に与えた衝撃の大きさには胸が痛む。
テニス界における内情、レジェンド達の逸話、ナダルやジョコビッチ、マレーらビッグ4を含め対戦してきたライバル達の高い人間性にも心惹かれる。ジャーナリストである著者の視点はあくまでも公平で、ロジャーフリークには少し物足りなく思うかもしれないが、テニスに少なからず興味を持つ人なら必ず楽しめる一冊である。個人的にはデビスカップとの因縁めいたエピソードが面白かった。
結びの章に「30代のどこかで、精神的にも肉体的にも疲弊し、引退を表明する時を迎えるだろう」とあるのは常識的な見方だろうが、常に想像を超え、更なる高みを見せてくれる規格外の彼ならば、予想を裏切り少しでも長くプレー姿を見ていたいと願う我々の望みを叶えてくれるかもしれない。
今回ベスト16でナダルがミュラーに4時間半超に及ぶ死闘で敗れ、全豪オープンの名勝負再び、とはならなかったのが残念だが、全仏を見送り芝に照準を合わせたローテーションで勝ちに来たフェデラー。前人未到のウィンブルドン最多優勝8回は成し遂げられるのか。快挙の報に打ち震え、熱狂する世界中の人々の姿を時差ボケの頭で想像して口もとがほころぶ。そのとき新たにフェデラーの虜になった人々が、この本を手に取るに違いない。
- 『少年は荒野をめざす』吉野朔実 (2017年6月15日更新)
- 『ゼロ・アワー』中山可穂 (2017年5月18日更新)
- ときわ書房千城台店 片山恭子
- 1971年小倉生まれの岸和田育ち。初めて覚えた小倉百人一首は紫式部だが、学生時代に枕草子の講義にハマり清少納言贔屓に。転職・放浪で落ち着かない20代の終わり頃、同社に拾われる。瑞江店、本八幡店を経て3店舗め。特技は絶対音感(役に立ちません)。中山可穂、吉野朔実を偏愛。馬が好き。