『つぼみ』宮下奈都

●今回の書評担当者●ときわ書房千城台店 片山恭子

 30代半ば、身内と愛犬が3年の間に相次いで亡くなり、仕事にも行き詰まりを感じ、打ちのめされていた時期がありました。その頃に出会った『スコーレNo.4』は、私をゆるやかに再生へと導いてくれた作品でした。ひとりの少女が大人へと成長する過程がとても丹念に描かれたこの物語を読み終えたとき、当時暗闇だった胸の奥底に、小さく明かりが灯ったように感じたのを思い出します。


 その『スコーレNo.4』のスピンオフ作品3編を含む6編が収められた宮下奈都さんの『つぼみ』が刊行されました。この小説集は今から5年、10年、12年前に書かれた作品達だということを忘れさせる力強さ、輝きを放っています。

<花>が共通する3編の一話目は、『スコーレNo.4』の主人公・麻子の叔母、和歌子(麻子の母の妹)が主役の「手を挙げて」。

 クールな発言の裏側で、ぐるぐるいろんな思いが駆け巡る和歌子さん。華道の講師をしているのに部屋に花を飾らないのはなぜかと恋人に聞かれ、普段の生活には合わない、いかめしい流派だからと答えながらも、「活け花の先生なら花が好き、という勝手な思い込み、私のことをちゃんと見ていないと思う辛口なところが魅力です。恋人の母親が和歌子の部屋に来た時にもてなしたコーヒーカップの件で描かれる感覚の見事さは世の殿方にぜひお読みいただきたい。恋人との明るい未来を予感させる心憎いラストに自然と笑みがこぼれます。

 二話目は、華道教室を開いている美奈子さんが主人公の「あのひとの娘」ですが、このお話については後ほど改めて。

 三話目は、麻子の末妹・高校生の紗英が、活け花を習いにゆく美奈子の教室で中学時代の同級生と再会し、その花に魅入られる「まだまだ、」。「三年にひとりくらいの割合で、私を毛嫌いするひとに出くわしてきた」という相手と対決する場面は痛快。自分らしさについて考えたとき、自分はどう見られているか、どのような振る舞いを期待されているのかと考え、期待に添うような行動や発言をして自己嫌悪に陥った経験がある人は、きっとこの対決シーンでガッツポーズをしちゃうのではと思います。何より花に対する真っすぐな思いがそうさせたのです。年齢に関係なく、こんな芯の強さを感じさせる人に憧れます。

 晴子(コー)と晴彦(ヒコ)の姉弟が主人公の「晴れた日に生まれたこども」。大学を出て薬の卸問屋で事務職として働くコーは、離婚した母親と、高校を辞め、会社も勤めてすぐに辞め、アルバイトもいくつか変わってふらふらとしている弟のヒコと暮らしています。ある日ヒコが「自分のある能力に気付き、有効に使おうと思うと宣言します。能力って何? と気になるところですが、本編をお読みいただくとして。コーがつきあっている祐介について語る文章が率直で気持ちがいい。また小学生の頃、コーがヒコを学校で偶然に見てしまったときのいわく言い難い感情や、同じ母親でも姉弟で見ている角度が違うこと、そして幼かった弟が座右の銘にしてしまう程の印象を残した父の言葉と、それを聞いたコーの心にも、微かな変化をもたらします。

 他界した母の故郷に住む祖父母の家に、父と妹の一家3人で移り住んだ僕・園田太一が、本屋で出会った少女との不思議な出来事を描いた「なつかしいひと」。先日参加させていただいた「『つぼみ』応援結社の会でも、多くの人がこの作品をとても好きだと挙げていました。

 収録最終話となる、奈都さんの作品のなかでも一風変わった印象を受ける「ヒロミの旦那のやさおとこ」。人の気持ちのちょっとずつずれているような、ちぐはぐ感が絶妙なおかしみを生むこの作品も好きです。「ハートで泣いている」ことに気付いてくれる人がそばにいる幸せ、それを喜ぶ友人がいることの幸せを思います。

 そして最も今の自分に響いたのが「あのひとの娘」。あのひと、とはこの物語の主人公・美奈子が昔好きだった津川くんのこと(紗英の父親)です。テニス部に入部した初心者の津川くんが卵型のラケットと丸型ラケットのうち丸型を選ぶ理由を、幼い頃より習ってきた活け花の経験から基本、過程を大切にしたいという美奈子には理解できることをきっかけに、津川くんに魅かれてゆく心の動きが、誠実で丁寧な言葉で綴られるシーンがとても好きです。

 こんな場面があります。

 紗英は恵まれている。身近にこんなにいい友達がいて。後片付けの手伝いもせず、自分の興味や好奇心や能力に没頭できるのは、それをゆるしてくれる環境があるからだ

 活け花教室が終わり、鍵をかけて帰る時間になっても花器置き場の前から動こうとしない紗英を見つめる美奈子に、紗英の友人・紺野千尋が、記憶力のいい紗英が今日活けた花を別の花器に活けていたら、というシミュレーションをその花器の前で行うため、少しだけ待ってやってほしい、と頼んだところでの美奈子の思いを描写した文章です。

 才能を開花させるために必要な理解者の存在を忘れてはならない。周りを支える人が偉いということでなく、才能ある人と支える人の才能をも認めるということ。高校生にしてそうした気配りの出来る千尋の器の大きさもさることながら、彼女を認めてくれる大人の存在としての美奈子も素敵です。

 大事なことには出会い続ける。たぶん、四十になっても、五十になっても、出会うんだろう。だけど、若いころに出会った大事が人生を決めてしまう

 こんなほろ苦い文章も今の私にしっくりくる。何年か経って読み返したとき、そのときの自分に一番響くのはどの物語だろう、そんな自分の変化を感じてみたいです。

 人はいつかそれぞれの場所でそれぞれの花を咲かせるものだとしたら、花開く前の、つぼみの瞬間を見事に切り取った、いとしい、いとしい物語。開花への段階を象徴する『つぼみ』というタイトルでしかあり得なかった奇跡のような一冊。

*「『つぼみ』応援結社」=活動レポートと称するリーフレットを結社員のいるお店で配布しておりますので、ぜひ店頭で探してみてください。

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ときわ書房千城台店 片山恭子
ときわ書房千城台店 片山恭子
1971年小倉生まれの岸和田育ち。初めて覚えた小倉百人一首は紫式部だが、学生時代に枕草子の講義にハマり清少納言贔屓に。転職・放浪で落ち着かない20代の終わり頃、同社に拾われる。瑞江店、本八幡店を経て3店舗め。特技は絶対音感(役に立ちません)。中山可穂、吉野朔実を偏愛。馬が好き。