『鳥肌が』穂村弘

●今回の書評担当者●啓文社 児玉憲宗

 穂村弘のエッセイが発売されると買わずにはいられない。私は穂村弘中毒である。
 穂村弘のエッセイはどれを読んでも斬新で目から鱗が落ちる。そのほんわかとした刺激が病みつきになる。

 穂村弘のエッセイの魅力は、日常の何気ない出来事や風景を独特の感性、視点でとらえているところである。心当たりのある日常が穂村によって別のユニークな出来事へと変わる。

 どうして、他の人とは違う感性、視点で物事をとらえられるのかというと、それは彼が小さい頃から変な子で、変わった若者として歪んだ青春期をおくり、そのまま成長した変な大人だからである。

 彼の意見や感情に「うん、わかるわかる」と共感できる部分はむしろ少ない。だけれど、私は、穂村弘の感性を肯定的に受け入れている。魅力的だからだ。

 私が穂村弘のエッセイが好きなのは、彼の感性が魅力的だからだけではない。
 言葉の選びかた、つかいかたにどきりとする。文章に、あえて不規則なリズムをつくることで、強い印象を与えられ、ほれぼれする。短歌の手法をエッセイにも活かしているのかと思う。

 本書は、「PHPスペシャル」をはじめとした雑誌で発表したエッセイがまとめられたものだが、共通のテーマがある。それは、書名にあるとおり、「鳥肌が」立つ話が集められている。鳥肌が立つというと、肝試しよろしく暗い夜道でオバケと出くわしたり、感動的な映画のワンシーンを観たといったエピソードが思い浮かぶが、そうでないのが、穂村目線の恐るべし点である。

 たとえば、「『母』なるもの」というエッセイで短歌一首と作家本人のコメントが紹介されている。母が作った筍の煮物。母は、当たり前のように二十三歳の私の小皿に柔らかい穂先を集め、固い根元を父と母の小皿に盛り付ける。母はこれまでそうだったように、これからも母であることを辞めることはない。鳥肌が。

 他にも興味深いエッセイがあるが、これ以上、紹介するのはやめておく。
 どんなエピソードが書かれているか、ぜひ自身の目で確認してほしい。

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啓文社 児玉憲宗
啓文社 児玉憲宗
1961年広島県尾道市生まれ。高校を卒業するまで読書とはまったく縁のない生活を送っていましたが、大学に入って本の愉しみを知り、卒業後、地元尾道に拠点を置く書店チェーン啓文社に就職しました。(書店勤務は30年を超えました)。今のメインの職場は売場ではありませんが、自称、日本で唯一人の車椅子書店員。本は読むもの、売るものが信条ですが、魔がさして『尾道坂道書店事件簿』(本の雑誌社)というエッセイを出しています。広島本大賞実行委員。