『物語ること、生きること』上橋菜穂子
●今回の書評担当者●あおい書店可児店 前川琴美
「どうしたらお話が書けますか」。小さな読者からの真っ直ぐな問いが著者の中でずっと息づいていた。「登山者が、この岩に手をかけたら上手く登れると気付いて、後からやってきた人に『この岩大丈夫ですよ!』と声を掛けるように」。
物語を紡げないでいる迷い子に著者は優しく上橋菜穂子という物語を語り出す。作家になるまでの自分の来し方、また、自分をここまで案内してくれた先人達の歩みをつまびらかにしてくれる。著者の作品と同じようにその人生も真っ正直であることにも、表に出したくない失敗も包み隠さず題材として自身をさらけ出す姿勢にも心打たれる。自身をまな板の上に乗せて、「好きなように腑分けしてあなたの血肉にしてくれ」と全てをさらけ出す覚悟は崇高で美しい。
しかし、この「上橋菜穂子」というレシピは、それを手に入れるのと交換条件に、あなたの「物語ること、生きること」を真っ向から静かに問い返してくる。これを手に取った子供の何人かが次の物語の紡ぎ手の一人として一歩を踏み出す、そんな予感に心躍る。著者は最近国際アンデルセン賞を受賞した。したがって、この本の影響力は国境を越えて世界中に及ぶに違いない。
物語には魂のリアルがある。例えば『守り人』シリーズの登場人物のバルサの闘いに。『獣の奏者』の主人公エリンの知識欲に。これまでも、この著者はその描く世界に実際に触れているに違いないという確信があったが、果たしてそうであった。著者の感覚は、文化人類学を志し、アボリジニやシャーマンに実際に会いに行き、過酷なフィールドワーク(20年!)を体験して鍛えられたものだったのだ。
オーストラリアの一本道を何日も運転し、虫だらけのベッドにアイロンをかけて寝る。馬に乗り、日本の古流柔術、中国の武術に触れ、短剣取りまでやってみる。何という行動力。なるほど、激しい武闘シーンはこうして出来たのだと改めて感心する。これはリアルな作品を作る為だけでななく、この岩大丈夫!と足を乗せる道標が後から続く子供のために嘘であってはならない、と考える責任感からくるものだ。
それは児童文学というものが、個々の作品というレベルを超えて、その魂の灯をリレーしていくものだと思っているからだろう。トールキンの「指輪物語」の、指輪を捨てる為の旅というストーリーの深さへの感動、サトクリフの、互いの境界線を越えて世界をつなげる物語への感動。それらの感動を自分が新しい物語という形で後世に残す。呼応し合う魂が、今度はあなたの番だと告げている。「物語れ、そして生きろ」と。
著者は山の岩の一つとなった今も「よいしょ、よいしょと登っている」という。その先には見えな
いフロンティアが広がっている。でも顔を上げて歩くと著者は続ける。「世界は広いっすよ!」そうだ、共に広げるのだ、この世界の地図を。
- 『This is the Life』アレックス・シアラー (2014年9月4日更新)
- 『昆虫交尾図鑑』長谷川笙子 (2014年8月7日更新)
- 『カタツムリが食べる音』エリザベス・トーヴァ・ベイリー (2014年7月3日更新)
- あおい書店可児店 前川琴美
- 毎日ママチャリで絶唱しながら通勤。たまに虫が口に入り、吐き出す間もなく飲 み下す。テヘ。それはカルシウム、アンチエイジングのサプリ。グロスに付いた虫はワンポイントチャームですが、開店までに一応チェック! 身・だ・し・な・み。 文芸本を返品するのが辛くて児童書担当に変えてもらって5年。