『白』原研哉

●今回の書評担当者●あおい書店可児店 前川琴美

 美しい本を紹介する。題名は『白』。あなたが知っているどの本と比べても、これほど白い本はないだろう。白は表紙に触れる瞬間からあなたの意識に入り込み、感覚の目盛りが細かくなりはじめる。美しい本は美しい言葉から始まる。「白があるのではない。白いと感じる感受性があるのだ。だから白を探してはいけない。白いと感じる感じ方を探るのだ」。読書が極まってゆく。白を体感してゆく。何という視座だろう。この感覚を獲得出来たなら、世界はもっと美しくなる。

 何もない空白をどう見るか。情報のゼロ地帯としてではなく、受け容れることで満たされる可能性を持つものとして、空白をとらえられたら。古来より継承してきた日本人の美意識についての見解は素晴らしい。特に、日本語があまりに際立っているので、ひたすら感嘆してしまう。論旨を述べて一歩スッと踏み込み、その半分を形を変えなぞりながら、もう半歩進む、そのくり返し迫り来る律動。かと思えば「矢を一本だけ持って的に向かう集中の中に白がある」といった差し込みにも似た文章でいきなり閉じて磁力を放つ。

 成る程、言葉においてもデザイナーなのだ。一言一句、概念を体現しようという意匠に満ち満ちている。まごうことなき、まったき白。美しい。計算され、洗練され、研ぎ澄まされているものに対面しているだけで、次元が増幅し、意識が拡張されてく幸福感がここにある。東大の入試問題や、高校の教科書に使われる題材としてのお勉強だけに留めておけようか、この感動を! 読まないなんてもったいない!!

 私がこの本を最後に紹介する理由は、ネットと紙との媒質の違いを的確に表してる件に深く共振したからだ。「ネットの本質はむしろ、不完全を前提にした個の集積の向こう側に、皆が共有できる総合知のようなものに手を伸ばすことのように思われる」。あらゆる人々が無限に加筆修正でき、終わりなき更新を繰り返す知の平均値。全くその通りだ。しかし、この著者の言葉はそれとは全く違う質のものである。後戻りができない覚悟を発露する「不可逆性」の美しさ。死があって、はじめて輝く人生のようなものだ。それは、紙という枚葉でこの白という概念と対面しているせいでもある。「紙の白やその物質性と感覚的に対話を続けることで、人類はそのに肥沃な表現の領域を育むことができた。書籍はそのようなものとして文化の中に立ち上がってきた道具である」。見事だ。こんな本を売りたいと思う。

 私はずっと思ってきた。本が売れないのは悲しい。未来のユーザーの携帯に費やす時間とお金を少しでも読書に。じゃあ文芸からじゃダメだ、児童書担当にしてもらって種を蒔こう。しかし勤めていた書店は閉店した。今私はがらんどうの廃屋の前を通り過ぎ、ライバルだった店でひたすらエロ本を縛り、コミックの袋詰めをしている。お勧めの本を聞かれることもない日々。あらゆるメディアを否定出来ないように本の可能性も然りと信じて。頑張れ出版社! 頑張れ本屋さん! この本を思うとき地鳴りのようなエールが、誰かに届け届けと湧き出てくる。ネットの向こうのあなたに届け、この想い!!

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あおい書店可児店 前川琴美
あおい書店可児店 前川琴美
毎日ママチャリで絶唱しながら通勤。たまに虫が口に入り、吐き出す間もなく飲 み下す。テヘ。それはカルシウム、アンチエイジングのサプリ。グロスに付いた虫はワンポイントチャームですが、開店までに一応チェック! 身・だ・し・な・み。 文芸本を返品するのが辛くて児童書担当に変えてもらって5年。