『街道手帖』ジュリアン・グラック
●今回の書評担当者●今野書店 松川智枝
気楽には読めないエッセイです。
紀行的な部分はまだそこまで気を張ることもなく読めるのですが、文学評論的な部分は、ふわっと考え事でもしながら読もうものなら、何も入ってこなくなるような緊張感のある気品高い文章です。
『アルゴールの城にて』は、重厚感のあるゴシック風の舞台設定に、比喩、比喩、比喩。流れる河に身を任せるかのように、景色だけがどんどん変わっていく、まるで幻燈を見ているような小説です。この『街道手帖』も、紀行、自伝、評論、と大まかに分類されてはいるものの、長短とりまぜた散文詩のようなパラグラフは、風景から思考へと自由に飛翔し、正に〈手帖〉のようにキラキラと航跡を残します。
自伝部分、評論部分ももちろん興味深く、アンドレ・ブルトンらシュールレアリストとの交流や、幼少時の思い出、芸術に対する見解を、俯瞰的に、しかも美しく描ける技術は他では味わえないものです。しかし、わたしが一番すごいなぁと思うのは紀行部分、タイトル通りの〈街道〉部分です。
まず書き出し、《ソローニュ地方の村々は、もう顧みられることもない失われた城の、よく手入れされ続けている付属施設のようだ》...って寂れてますか? そう、知っている土地が現れることもあるのですが、観光大国フランスでも、外国人は行かないような場所、そして華やかさとは無縁の、ごく小さな街が殆どなのです。小説のように比喩の連続、という訳ではないけれど、木1本の印象から、歴史のかなたへ飛翔する思考のムーブメントは、えもいわれぬ美しさで、何でもない風景が、とんでもなく重要な場所であるかのように感じ、なのに強く主張することがないために、ただそこに続いていくだけの道、という謙虚さも感じるのです。
シュールレアリズムの何たるかをわたしはちゃんと理解しきれていませんが、ただそこにあるものを、写実と連想を駆使して美しく表現する知性には、羨望しか感じません。加えて、文学界の権威からも遠く身を置き、静かに余生を過ごしたグラックの生涯はやはり、とてもとても羨ましいのです。
- 『たそがれ清兵衛』藤沢周平 (2016年8月25日更新)
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- 今野書店 松川智枝
- 最近本を読んでいると重量に手が震え、文字に焦点を合わすのに手を離してしまうようになってしまった1973年生まれ。それでも高くなる積ん読の山。