『人間じゃない』綾辻行人
●今回の書評担当者●啓文社西条店 三島政幸
1987年9月5日。
綾辻行人『十角館の殺人』が講談社ノベルスから発売された日である(奥付の日付)。
そう、この日こそが、ミステリ界に新本格ミステリという新たなジャンルが生まれた日だったのだ。
当時の私は、特に何をすることもなく、ただ自堕落な日々を送っていた。
そんなある日新聞で見かけた、「島田荘司氏絶賛! まだあった大トリック!」とのキャッチコピーに魅かれ、すぐに近所の本屋へ行って、全く名前を知らない綾辻行人なる作家のデビュー作を購入した。その頃は島田荘司作品が大好きで読みまくっていたので、島田荘司が絶賛するなら、と手にしたのだ。
帰宅してから、まさに一息に、『十角館の殺人』を読み切った。片時も休むことなく、わずか2時間程度のうちに読んでしまったように記憶している。
ここで、現在では「伝説」と化しているこの作品の初読時の印象を正直に告白しよう。
「なんだこれは」
であった。
真犯人に関するトリックには確かに感心したが、エピローグで面喰ってしまった。ネタバレになるので詳しくは書けないが(とか言いながら書くけど)、これもキャッチコピーで書かれていた「たった1行の大どんでん返し」がエピローグのラスト1行だと思い込んでいたのである。
自分勝手な思い込みが誤解を生んでしまったので、作品に罪はない。どころか、それ以外の要素はめちゃくちゃ面白かった。当時、本格ミステリは冬の時代で、島田荘司、泡坂妻夫、連城三紀彦などごく一部の作家が新作を書いていたくらいで、本格ミステリに飢えていた私たちは、過去の名作を読み漁ってたのだ。そんな時代に、大学ミス研出身でアマチュアっぽい雰囲気を伴った若い作家が、館の図面、怪しげな登場人物、名探偵による解決編など、往年の本格ミステリの雰囲気満載の作品を書いたのである。こんな古臭い小説よく出したなあ、と思う一方で、心の中では大喝采をあげていた。『十角館の殺人』は現在でも新本格の元祖として広く読まれているが、「アガサ」「ポウ」とかはまだしも、「ルルウ」「オルツィ」「ヴァン」などは今でも分かるのだろうか、と、ちょっと気がかりである。
さて、冒頭に戻ろう。
『十角館の殺人』が世に出たのは1987年。そう、2017年は新本格ミステリ30周年なのである。綾辻さんもいつまでも若手だと思っていたら、今では中堅どころか重鎮ミステリ作家なのだった。
今年は新本格30周年で、記念企画もいろいろと予定されているようだが、綾辻さんにとってもデビュー30周年を記念する一冊が出た。それが『人間じゃない』だ。綾辻さんの30年におよぶ作家生活において、今まで単行本に収録されることのなかった短編を収録した作品集である。
単行本未収録作品集ではあるが、それぞれに人気シリーズの番外編的な位置づけの作品ばかりなので、ファンなら親しみをもって読むことができるだろうと思う。私はそれぞれのシリーズを読んだ当時を思い出して懐かしさを覚えた。ああ、このシリーズの頃はこんな気持ちで読んでいたなあ、などと。また一方で、ああ、こんな手に純粋に引っ掛かっていたんだなあ、とも思ってしまった。新本格に慣れ過ぎたがゆえに、あらゆるタイプの意外性を体得しているので、なんとなく「真相が読めてしまう」作品もあるのだ。それもまた、綾辻さんの功績なのだけれど。
収録作は、『人形館の殺人』の後日譚にあたる「赤いマント」、『眼球奇譚』シリーズの作品に連なる「崩壊の前日」、『どんどん橋、落ちた』の犯人当て連作の番外編として急遽書かざるを得なかったという「洗礼」、「深泥丘」連作の番外編「蒼白い女」、そして、『フリークス』連作になる「人間じゃない --B〇四号室の患者--」の5作品だ。
とりわけ、「洗礼」には綾辻さん自身も思い入れが強いようだが、このシリーズの元ネタである『どんどん橋、落ちた』には強い印象と思い入れがあった。これを読んで懐かしさもあまり、最近出版された『どんどん橋、落ちた』の新装改訂版(講談社文庫)を改めて買って読み返してしまった。どれも、初読時には「これフェアなのか?」と思いながらも大絶賛していたものだが、新本格の隆盛によってあらゆる反則技が出まくった現在の視点からすると、意外とオーソドックスだな、と思ってしまった。しかし、日本ミステリ界をそのような世界まで引き上げた牽引者こそ綾辻さんだと思うので、こんな感想もまた、綾辻さんの計画通り、なのかも知れない。
『人間じゃない』には、綾辻作品のエッセンスが詰まっていると同時に、日本における新本格ミステリ30年史が詰まっている、と言えると思う。
新本格の次の道は、誰が作っていくのだろうか。
- 『恐怖小説 キリカ』澤村伊智 (2017年2月16日更新)
- 『死の天使はドミノを倒す』太田忠司 (2017年1月19日更新)
- 『Aさんの場合。』やまもとりえ (2016年12月15日更新)
- 啓文社西条店 三島政幸
- 1967年広島県生まれ。小学生時代から図書館に入り浸っていたが、読むのはもっぱら科学読み物で、小説には全く目もくれず、国語も大の苦手。しかし、鉄道好きという理由だけで中学3年の時に何気なく観た十津川警部シリーズの2時間ドラマがきっかけとなって西村京太郎を読み始め、ミステリの魅力に気付く。やがて島田荘司に嵌ってから本格的にマニアへの道を突き進み、新本格ムーブメントもリアルタイムで経験。最近は他ジャンルの本も好きだが、やっぱり基本はミステリマニアだと思う今日このごろ。