『美人好きは罪悪か?』小谷野敦
●今回の書評担当者●忍書房 大井達夫
小谷野敦をご存知か。私は知らなかった。客注があって仕入れ、ちらりと中を見たら酒井順子『私は美人』からの引用で、今ではヌード写真も美人が多いが、一昔前はけっこうブスのヌードというのがあって、それには美人とは別の風情があった、などと書いてある。例として懐かしや、寺山久美に言及している。危うくブスというところからその美は醸し出されていたとあるが、そうだろうか。寺山は1980年前後、主にきわどいグラビア誌で活躍した「美少女モデル」で、風情のあるブスのヌードの例としては不適切な気がする。
みんな美人が好きに決まっているではないか。いやだなと思うのは、その美人が私のことを好きになってくれないからで、じゃあ美人とは誰のことか、ということになるのだが、小谷野は夏目雅子は趣味ではない、伊東美咲も好きではなかったなどという。どんだけわがままなんだよと思うが、読み進めるにつれこの本は美人についての本ではなさそうだ、ということに気がつく。膨大な読書量を匂わせる数々の引用と罠に満ちた華麗な論法で読者を煙に巻き、美人について何事かを語っているように見せかけて、半可通の知識人や勉強不足の学者の不見識を断罪面罵し、ついでに罪なき人をもだしに毒を吐く本なのである。
正直言って、美人云々よりもそこが面白かった。というか、おいおいこんなこと書いていいのかよ、と思った。たとえば桜庭一樹について、「まああれは典型的な、ブスだと言う人と美人だと言う人がいる顔である。......端的にいって、水商売顔、男好きのする顔というのがもっとも適切な表現だろう」などと言っている。こんなのましな方で、もっとひどいことも書いてある。引用しづらいのは、私もそう思わないでもないからだ。
ドクター・ジョンが『フードゥー・ムーンの下で』で書いていた、少年のころのニューオリンズ・マルディ・グラで起きたトライブ(族)同士のトラブルのことを思い出す。祭りには諍いがつきものだ。グループ同士が鉢合わせをすると、当然のことのように喧嘩が始まる。少し考えればわかることだが、腕力を使う喧嘩は互いを傷つける。そこで口喧嘩の出番だ。かつてはリーダー役だったビッグ・チーフが、後には女装したドラァグクィーンが、相手を挑発し愚弄する。口喧嘩はときにリズムと旋律を伴い、声援や罵倒が程よいノイズになって一種陶然とした雰囲気が漂い始める。勝敗は、自然と決まるのだという。勝てばきっといいことがあるんだろう。日本の「悪態祭り」でも、無病息災が約束されているという。そう考えれば小谷野の悪態もわからないではない。理解力と表現力を武器に喧嘩を売りまくって、もっといいところで活躍しようとしているのではないか。
小谷野敦は友だちにするにはキツイかも。でもたまに話をしたら面白いだろうな。日常生活に毒が足りない人はぜひどうぞ。オススメです。
- 忍書房 大井達夫
- 「のぼうの城」で名を挙げた、埼玉県行田市忍(おし)城のそばで20坪ほどの小さな書店をやってます。従業員は姉と二人、私は社長ですが、自分の給料は出せないので平日は出版社に勤めています(もし持ってたら、新文化通信2008年1月24日号を読んでね)。文房具や三文印も扱う町の本屋さんなので、まちがっても話題の新刊平台2面展開なんてことはありません。でも、近所の物識りバアちゃんジイちゃんが立ち寄ってくれたり、立ち読みを繰り返した挙句、悩みに悩んでコミック一冊を持ってレジに来た小中学生に、雑誌の付録をおまけにつけるとまるで花が咲くみたいに笑顔になったりするのを見ていると、店をあけててよかったなあ、と思います。どうでえ、羨ましいだろう。