『プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?』メアリアン・ウルフ

●今回の書評担当者●忍書房 大井達夫

  • プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?
  • 『プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?』
    メアリアン・ウルフ
    インターシフト
    2,592円(税込)
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 本を読まないから日本人が馬鹿になっちゃうと心配する人がいて、今年は国民読書年なのだという。昨年6月の国会で決まったのだ。読書は個人的な趣味だと思うから、読書の国民運動なんて気味が悪い。本が売れないというのなら、本屋のレシートで年間2万円まで税金の還付を行う制度をつくったらいい。間違いなく売れるぞ、読むかどうかはわからないが。活字離れというが、そうだろうか。パソコンだってケータイだってみんな文字だ。本が売れないのは読みたい内容がないからだよ。電子書籍、いいじゃねえか。本当の活字離れは、文字に変わるインターフェイスが現われたときに起こる。ヘッドギアを使って脳に電気信号を流すとか、血管に微量の薬物を流し込むとか。マトリクスの世界だね。
 
 津野海太郎は『本はどのように消えていくのか』で、紙にインクでしみをつけ、それを束ねて糊付けし、表紙でくるんだもの、と本を定義している。文字は、インクのしみなのである。しみを見て内容を把握し理解することができるのは、それを読み取るリテラシーを持っているからだ。最古の文字は紀元前3200年頃書かれたとされ、してみると読み書きの歴史はせいぜい5000年だ。一つの生物学的要因の変化が引き金となって別の関連する生物学的要因が変化することを「共進化」というが、人類の脳は文字を手に入れること5000年で、それまでとは違う共進化を遂げるに至った。抽象的な思考が可能になったのである。

 薄々感じていたこの事実について、現在手に入る最も整理された知見がこの本だ。本書には読み書きの歴史、個別生体の生理学的発達、ディスレクシア(読字障害)についての3点が手際よくまとめられている。ディスレクシアにはいろいろあるが、19世紀末の英国で数字の「7」は読めるのに、「seven」を見せると読めない中学生が見つかったのが最初らしい。読み書きは決して人間のデフォルトの能力でなく、またそれに適さない個性もあるのだ。インクのしみだもの、そういうことだってあるに決まってら。そういうことが全く理解できないトンチキにぜひとも本書を読ませたい。読字障害があっても、優れた才能は存在する。逆説めくが、だから読書に価値と意義があるというものではないか。

 ソクラテスは書き言葉の普及を非難したのだそうだ。書き言葉では伝えるべき大切な何かが零れ落ちてしまう。プラトンはどんな気持ちでお師匠様の話を書き文字に起こしたのだろう。おかげでソクラテスの教えを私たちも知ることができるのは皮肉だが、大切なのは伝えるべき何かであることを忘れてはならない、という教訓として聞くべきなのだろう。

 本書は典型的な「タイトルで損をしている本」である。しかし、内容は抜群に面白い。本好きなのに本書を読んでいないヒトは、人生を確実に損している。オススメです。

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忍書房 大井達夫
忍書房 大井達夫
「のぼうの城」で名を挙げた、埼玉県行田市忍(おし)城のそばで20坪ほどの小さな書店をやってます。従業員は姉と二人、私は社長ですが、自分の給料は出せないので平日は出版社に勤めています(もし持ってたら、新文化通信2008年1月24日号を読んでね)。文房具や三文印も扱う町の本屋さんなので、まちがっても話題の新刊平台2面展開なんてことはありません。でも、近所の物識りバアちゃんジイちゃんが立ち寄ってくれたり、立ち読みを繰り返した挙句、悩みに悩んでコミック一冊を持ってレジに来た小中学生に、雑誌の付録をおまけにつけるとまるで花が咲くみたいに笑顔になったりするのを見ていると、店をあけててよかったなあ、と思います。どうでえ、羨ましいだろう。