『幕末下級武士の絵日記』大岡敏昭

●今回の書評担当者●忍書房 大井達夫

  • 幕末下級武士の絵日記―その暮らしと住まいの風景を読む
  • 『幕末下級武士の絵日記―その暮らしと住まいの風景を読む』
    大岡 敏昭
    相模書房
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 1861年12月、武州忍藩の下級武士、尾崎石城は憤慨していた。二ヶ月前の飲み会で、酒を過ごし藩政批判したとして自宅謹慎を命じられたのである。御馬廻役禄高百石の知行取りだった四年前には、水戸天狗党に肩入れしたとして蟄居申付の上十人扶持に格下げされている。禄高百石は現代になおせば年収約400万、十人扶持はその三割程度で120万といったところか。中流サラリーマンが会社の将来を憂えて上申したところ、保守的な管理職から疎まれて仕事を干され、リストラされて契約雇用となり、さらに自宅待機になったようなものである。石城は33歳独身、インテリで大酒飲み、曲がったことが大嫌い、武ばった稽古もつけるけれど、子供と遊ぶのが大好きで、寺に入り浸って坊様と書物の読み合わせをするのを楽しみにしていた。なんだか他人事とは思えないな。クサる石城に友人たちが励ましの声をかけにやってくる。襖絵を描け一筆したためよ、すれば金を用意する。謹慎開けにはその金で上楼しよう、飲んで歌って、浮世の憂さを晴らそうではないか。応、と石城はこたえたであろう。「この世は神の、晩酌か/私は神の、肴だな」(松下育男『肴』)

 石城は、とにかくよく酒を飲む。年収120万で毎日酒を飲んでいたら、そりゃあ金がなくなる。石城は絵を描き書物を筆写することで手元不如意を癒していたようだ。その石城が日記を書くに当たり、戯れ絵をつけたのは自然の成り行きだったのだろう。即ち、下級武士の絵日記の出来上がりである。旧利根川は忍のあたりで荒川と合流し、江戸湾へと流れ込んだ。忍城下は、あちこちから地下水が湧出する湿地に作られた町だ。人々は沼の狭間を縫うように作られた道をたどって行き来した。ある冬の夜、石城はそんな道を酔って歩き、沼に落ちる。生酔いのまま手拭いで頬かむりをして顔を隠し、井戸で泥を落とすおのれの姿を描く。滑稽である。日記だもの、誰かに見せるつもりではなかったはずだ。文学的態度とは、およそ他人様には関係のない私事の集合体を、客観的に表現しようとするところに芽生えるのではあるまいか。ならば石城の絵日記は、すでに文学的である。

 相模書房は建築関係の専門書を扱う版元で、ごく私的な日記でも、専門家の手腕で適切な注を加えつつ、中心となるテーマに沿って並べ替え編集されれば、江戸時代後期150年前の日常が、手に取るように生き生きと伝わってくるから不思議なものだ。『のぼうの城』関連以下、森本昌広『松平家忠日記』、大野瑞男『松平信綱』、津本陽『開国』そして本作品と読み進めれば、豊織から幕末まで250年余りの、北関東の地方都市忍城下の町の変遷が伺える記事を、史実・虚構を織り交ぜて読むことができる。ポストモダンは、大きな物語が終焉したことによる枠組みの変化により生じたとされるが、その変化を追いかけながら想像力を膨らませることができる読書は、もう眼福というほかない。オススメでござる。

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忍書房 大井達夫
忍書房 大井達夫
「のぼうの城」で名を挙げた、埼玉県行田市忍(おし)城のそばで20坪ほどの小さな書店をやってます。従業員は姉と二人、私は社長ですが、自分の給料は出せないので平日は出版社に勤めています(もし持ってたら、新文化通信2008年1月24日号を読んでね)。文房具や三文印も扱う町の本屋さんなので、まちがっても話題の新刊平台2面展開なんてことはありません。でも、近所の物識りバアちゃんジイちゃんが立ち寄ってくれたり、立ち読みを繰り返した挙句、悩みに悩んでコミック一冊を持ってレジに来た小中学生に、雑誌の付録をおまけにつけるとまるで花が咲くみたいに笑顔になったりするのを見ていると、店をあけててよかったなあ、と思います。どうでえ、羨ましいだろう。