『図書館ねこデューイ』ヴィッキー・マイロン
●今回の書評担当者●忍書房 大井達夫
本書の舞台であるアイオワ州スペンサーで入植が始まったのは、ペリーが浦賀に来た1850年ころからである。1870年代に3度のイナゴ被害を受け一時農業が崩壊、1931年には火災により町の半分を焼失、1980年代には土地バブル崩壊により経済危機の波に飲まれる。町の歴史とはそういうものなのだろう、つづめて言えばスペンサーの歴史とは天災や人災による共同体崩壊の危機と、住民の努力による克服の繰り返しである。結果住民たちは、町への愛着と誇りを強めた。忽然と「図書館ねこ」が出現する1988年は、人々が歯を食いしばって経済不況に耐えていた頃だった。人懐こく物怖じしない猫は、気持ちと心をやわらげるだけでなく、何のために人生を生きるのか、ということを人々に思い出させた。
2008年にハードカバーで仕入れたとき、机の上に雑然とおかれた書籍の上に横たわる猫のイラスト表紙を見て、これはどんな本なのかと考えた。口絵には図書館の中で遊ぶ猫のスナップ写真があるから、実話ベースだということはわかる。図書館と猫。いかにも相性が悪そうな組み合わせである。私は猫が嫌いだ。気を引こうと工夫しても、ちっともこちらに興味を示さない。近寄れば逃げていく。知らんぷりできないことを知っていて、視界の隅にちらくら入ってくる。そんな小動物が棚の間をうろうろしていたら、気になって読書なんてできない。「みんな幸せ。だって猫ちゃんカンワゥイーン」なんてバカ本だったらどうしよう。そう思うと手が止まる。しかし気になる。さすがである。文庫化したのを期に、覚悟を決めて読んでみたら、驚いたことに本当に猫のおかげで幸せになる人々の話だった。ただしバカ本ではなかった。生きるとは何かについて書いてある本だったのである。
この本に書かれていることは主に次の3点。図書館猫デューイの一生と、アイオワ州スペンサーの歴史、作者ヴィッキー・マイロンとその家族たちの人生だ。ヴィッキーをめぐる物語がまた壮絶なのである。人生とはそういうものなのだろう。しかしなあ。そうまでして私たちは生きていかなければいけないのだろうか。思わずため息が漏れるような出来事がヴィッキーを次々に襲う。医療事故、夫からのDV、きょうだいの死。
私は本書を、地域社会と人生について書かれた本として読んだ。娘の問題行動について市長のクレバーさんに愚痴をこぼしたとき、本来業務のガソリンスタンドで働く彼が言った一言が素晴しい。「心配いらないよ。子どもが15歳を過ぎたら、親は世界で一番マヌケな人間になる。だが22歳を過ぎたら、また利口な人間に戻るんだ」その通りだと思う。人は誰でも、7年間はボンクラになるのだ。そして、地域社会の一員になっていく。
今回の地震で当店はさほどの被害はなかった。しかし被害の大きかった土地の人たちは、さぞかし辛い思いでいるだろうと胸を痛める。希望を捨てずに生きて行けるだろうかと悩むあなたに、街の本やさんとしてオススメしたい。
- 『昔日の客』関口良雄 (2011年2月25日更新)
- 『幕末下級武士の絵日記』大岡敏昭 (2011年1月27日更新)
- 『画本厄除け詩集』井伏鱒二 金井田英津子 (2010年12月23日更新)
- 忍書房 大井達夫
- 「のぼうの城」で名を挙げた、埼玉県行田市忍(おし)城のそばで20坪ほどの小さな書店をやってます。従業員は姉と二人、私は社長ですが、自分の給料は出せないので平日は出版社に勤めています(もし持ってたら、新文化通信2008年1月24日号を読んでね)。文房具や三文印も扱う町の本屋さんなので、まちがっても話題の新刊平台2面展開なんてことはありません。でも、近所の物識りバアちゃんジイちゃんが立ち寄ってくれたり、立ち読みを繰り返した挙句、悩みに悩んでコミック一冊を持ってレジに来た小中学生に、雑誌の付録をおまけにつけるとまるで花が咲くみたいに笑顔になったりするのを見ていると、店をあけててよかったなあ、と思います。どうでえ、羨ましいだろう。