『平成猿蟹合戦図』吉田修一

●今回の書評担当者●喜久屋書店宇都宮店 大牧千佳子

 いやあ、面白かった。こんなスカッとする小説は久々かも。

『悪人』(朝日文庫)でひとつの事件に関わる人々ひとりひとりの心情を緻密に描き、重厚な物語へと読者を飲み込んでいった著者が、今度はその緻密さを持ちつつ読者の心を爽快な秋晴れの空へと打ち上げてくれるような気持ちの良い小説を書きました。
 それがこの『平成猿蟹合戦図』(朝日新聞出版)なのです。

 舞台は歌舞伎町。ホストやバーテン、クラブのママやホステス、裏社会を生きる人々、と書くと、なにやらギラギラした「のし上がったるぜ」なお話になりそうですが、そういう感じでもない。でてくる人たちみんなどこか人がいい。最初は歌舞伎町のお話が、長崎県の福江島にとんだり、最後には秋田県大館市にいっている。それぞれのお国ことばにほっこりさせられつつ彼らの縁がカチリカチリとはまっていくのを俯瞰でみせてもらっているのが実に愉快なのです。下は0歳から上は96歳まで。年齢も性別も職業もさまざまな人々でありながら、著者は彼らを実にいきいきと動かしていきます。

 たとえばサワおばあちゃん。登場人物中最高齢の御年96歳。秋田の大館市で一人暮らし。月に一度保育園で昔話を聞かせている。このサワさんが痛快だ。いつも行っているデイサービスの施設で、慰問にきた地元代議士にうわべだけのニコニコした挨拶をされたときのサワさんの反応が見ものだった。いや、サワさんは不愉快だったんだろうけど、私は読んでいてニヤリとしてしまいました。

 サワさんが物語の中で「スカッどする話さは毒っこ入ってらど」というとおり、この物語の背景には悲惨な事件とその報復、犯してしまった罪の苦悩が描かれています。そこがきっちり影を落としているために、人々のたくましさや明るさがより一層際立ち、善悪のものさしでは測れない複雑な感情が沸き起こってくるのです。

 そんな感情をもつ登場人物のこころのことば。それを丁寧に拾い光をあてて表現していくのがこの著者のすごいところだなあと思います。

 そう、『悪人』はもちろん『さよなら渓谷』(新潮文庫)もことばにしようがない感情をしっかりと小説にまで押し上げている作品でした。『横道世之介』(毎日新聞社)はもう知り合いだった気さえします。

 猿蟹合戦のお話は蟹が臼や栗たちの助けをかりて猿を懲らしめるお話ですが、なぜ猿が懲らしめられることになったのか。そこを踏まえて、読書の秋にぜひ読んでいただきたい一冊です。

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喜久屋書店宇都宮店 大牧千佳子
喜久屋書店宇都宮店 大牧千佳子
本屋となっていつのまにやら20年。文芸書と文庫を担当しております。今の店に勤めて6年目。幼い頃、祖母とよく鳩に餌をやりにきていた二荒山神社の通りをはさんだ向かい側で働いております。風呂読が大好き。冬場の風呂読は至福の時間ですが、夢中になって気づくとお湯じゃなくなってたりしますね。ジャンルを問わずいろいろと、ページがあるならめくってみようっていう雑食型。先日、児童書担当ちゃんに小 学生の頃大好きだった児童書『オンネリとアンネリのおうち』(大日本図書版、絶版)をプレゼントされて感動。懐かしい本との再会というのは嬉しいものです。一人でも多くの方にそんな体験をしてほしいなあと思います。