『紙の月』角田光代

●今回の書評担当者●喜久屋書店宇都宮店 大牧千佳子

1億円横領し逃亡した銀行の契約社員、梅澤梨花41歳。彼女が犯罪者へと身を落としていった経緯。そして過去に彼女と関わりのあった人たちがその事件を知って、じわじわと影響を受けていく様。読み始めたらとまらない。なぜこうなったのか、どこで間違ったのか。

えぐりますね。女の傷口を実に巧妙にえぐっていくのです作者は。どこにでもある日常を描写しながら、ほんのちょっとの違和感を丁寧に確実にえぐってきます。
それは幸せに暮らす夫婦の会話の中にかすかに見え隠れしたもの。
それは一週間分ごとにわけて生活費をいれてある封筒。
それはすすめられてつい買ってしまった高価な化粧品。
誰もが身に覚えのあるような出来事が随所にちりばめられて、ついつい共感してしまう。そして着々と追い込まれていきます。

金というものは使えば使うほど麻痺していくものらしい。そのせいなのか、ここに出てくる人たちにはどうも明確な意思というものが欠落しているような気がする。たまたま手の中にあったから使う。くれたからもらう。最初は食事を奢る。高級ホテルのスイートに泊まる。荷物が多いから車を買う。マンションを借りる、いや、いっそ買う。

右から左へ、偽の定期預金証書をつくり顧客から金を集め、自分の口座へ。定期を解約したいという顧客のためにまた金を集め、足りなかったら消費者金融に借金をし、用意する。そしてこれまでの顧客では足りなくなり新規の顧客を開拓するため家をまわって営業する。どうにもならなくなってからぼんやりと気づくのだ。「もう戻れないのなら、突き進むしかない。」そこに気づいても「梨花はどこか遠い他人ごとのように思った」とある。
こうなってくると意思をもつどころか、金に操られているとしか思えない。

節約主婦の同窓生や、裕福だった妻の経済観念に悩む元彼や、離婚して離れて暮らす娘と友達親子でいたい買物依存症の元料理教室仲間などなど、梨花のことを知る人たちがやはりそれぞれ金に悩まされ、家族との関係に悩んでいる。そして梨花のことを思うのだ、何を手にいれ何を手放したかと。

箍がはずれる音。加速する逸脱。のめりこんでいったのは奪うことなのか奪われることなのか。
そして本当にほしかったものはなんだったのか。
ちゃんとした答えが見つかった読者の方は日常に踏みとどまることができる人でしょう。

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喜久屋書店宇都宮店 大牧千佳子
喜久屋書店宇都宮店 大牧千佳子
本屋となっていつのまにやら20年。文芸書と文庫を担当しております。今の店に勤めて6年目。幼い頃、祖母とよく鳩に餌をやりにきていた二荒山神社の通りをはさんだ向かい側で働いております。風呂読が大好き。冬場の風呂読は至福の時間ですが、夢中になって気づくとお湯じゃなくなってたりしますね。ジャンルを問わずいろいろと、ページがあるならめくってみようっていう雑食型。先日、児童書担当ちゃんに小 学生の頃大好きだった児童書『オンネリとアンネリのおうち』(大日本図書版、絶版)をプレゼントされて感動。懐かしい本との再会というのは嬉しいものです。一人でも多くの方にそんな体験をしてほしいなあと思います。