『ライオンのおやつ』小川糸
●今回の書評担当者●宮脇書店青森店 大竹真奈美
「この本の続きは明日読もう」
そんな風に事を先送りすることはよくあるが、それが叶わぬことになるとは、この時自分は思いも寄らなかった。
眼の病気を患ったのである。痛みが酷く、読書どころか食事も睡眠もままならず、結果的に入院に至った。
突然の目の見えない暮らし......本が読めないなんて‼︎それでも本がないと落ち着かず、たとえ読めなくても一冊そばに置いて欲しい、と病室のベッドの傍らにやってきたのが、この『ライオンのおやつ』だった。
本作は、若くして余命宣告された主人公、海野雫が、レモン島と呼ばれる瀬戸内の島のホスピスで、残された人生を過ごす物語だ。
ホスピスの名は「ライオンの家」。そこの入居者は、もう一度食べたい思い出のおやつをリクエストすることができる。毎週日曜日に訪れる「おやつの時間」に、誰かひとりの希望のおやつが忠実に再現される。自分のリクエストがいつ叶うかはわからない。口にできるかもわからない。それでも思い描く。人生の最後に、もう一度食べたいおやつ──。
「おやつ」というのは、心がほっとするような何か特別な幸せを含んでいるような気がする。おなかよりも、こころを満たす。それが「おやつ」ではないだろうか。
物語の続きが気になって、少し、また少しと読みはじめた。ページは思いのほか白く眩しい。まるでちょうちょの羽のように、本を開いては閉じて、開いては閉じる。
ぽとり、ぽとりと落ちる雫のように、ゆっくり、ゆっくり拾う言葉。味わい深い珈琲を心に抽出しているような、そんな初めての読書体験だった。1冊の本の読了は、健やかな時間の積み重ねなのだと、つくづく実感したのだった。
こんなことになるなんて思ってもみなかった。きっと誰もがそうだ。「目が見えなくなるなんて」「歩けなくなるなんて」「もうすぐ死ぬなんて」──。
人は誰もが生まれた途端に、いつか必ず死を迎える運命にあり、一分一秒先の事など何の確証もないのに、大抵何事も無い明日を過信し続けて生きている。
そのことを身をもって知った者は、生きる一分一秒の中で、今まで気づかなかった物事が見えてくる。当たり前のようで当たり前じゃないもの、見落としていた恵み、ありふれたものの美しさ。その「気づき」こそが、その時自分に課せられた「課題」なのかもしれない。
同じ病室のご年配の方が、毎日熱心に読書されていたので声を掛けた。親鸞の教えを説いた、ボロボロに年月と愛を重ねたその本を私に差し出し「自殺したら一番苦しい地獄へ落ちるんだよ」と、自殺者の多い現代社会を嘆きながら、地獄について記された部分を指差し教えてくれた。
自ら死を選ぶ人が溢れる現代に、どんな宿命にあっても命尽きるまで人生を全うしようとするこの本作が、生きていくうえで大切なものを照らし出しているように思える。
物語の終盤にとめどなく流れた涙は、甘く苦くしょっぱいような味がした。これが人生の味なのかもしれない、と味わい深く思う。
人生の最後の「おやつ」に想いを馳せると、ふわっと浮かび上がる思い出の数々。その様は、昔、母がよく揚げてくれた、一瞬で花が咲く魔法のような、あのおやつみたいだ、とふと懐かしく思った。
- 『流浪の月』凪良ゆう (2019年10月17日更新)
- 『三つ編み』レティシア・コロンバニ (2019年9月19日更新)
- 『つみびと』山田詠美 (2019年8月15日更新)
- 宮脇書店青森店 大竹真奈美
- 1979年青森生まれ。絵本と猫にまみれ育ち、文系まっしぐらに。司書への夢叶わず、豆本講師や製作販売を経て、書店員に。現在は、学校図書ボランティアで読み聞かせ活動、図書整備等、図書館員もどきを体感しつつ、書店で働くという結果オーライな日々を送っている。本のある空間、本と人が出会える場所が好き。来世に持って行けそうなものを手探りで収集中。本の中は宝庫な気がして、時間を見つけてはページをひらく日々。そのまにまに、本と人との架け橋になれたら心嬉しい。