『太陽のパスタ、豆のスープ』宮下 奈都
●今回の書評担当者●有隣堂川崎BE店 佐伯敦子
宮下奈都という作家を御存知ですか? いやあ、本好きの皆さんは、もう読んでいるかと思いますが、一部の書店員の間では、「いつか、本屋大賞をとるのでは?」と囁かれ、人気がじわじわ浸透している大注目の作家さんです。"日常の中のささやかな幸せや心の宝石探しをやらせたら、右に出る者はいない。"と噂され、とても素敵なハートウオーミングな文章を書かれます。今年の1月末にでた『太陽のパスタ、豆のスープ』は大太鼓判な一冊です。なんだか、タイトルからして、キラキラしていませんか? では、ご紹介させていただきます。
突然、フィアンセの譲から、婚約破棄を言い渡された明日羽。いきなり、大好きだった人から、別れを切り出され、どーんと落ち込む明日羽に、叔母であるロッカさん(このキャラも自由で魅力的!)は、「やりたいことや、楽しそうなこと、ほしいもの、全部書き出してごらん。」と"明日へのリスト作り"を薦めます。
もともとこの小説は、某出版社のPR紙に連載されていて、その時のタイトルは、『ドリフターズ・リスト』。えっ、あのカトちゃん、ぺっ!?全員集合の?と思いきや、そうではなくて、"ドリフターズ"というのは、そもそもは、「漂流者」という意味らしく、本当に心が落ち込んで、上を向いて歩けなくなり、まさに人生の途中で溺れてしまっている状態の時、ワラをも掴むごとき作る「漂流者のリスト」ということだそうです。
ロッカさんの言う通りリストを作った明日羽は、早速実行。引越しをして、一人暮らしを始めて、髪をばっさり切って、悩んでいたル・クルーゼの鍋を買います。どんな人にも、もうどこにもいけない、動けないと思う時はあるのかもしれません。どこにもいけないんだと立ち止まってしまった時は、そう、このリストの出番です。目の前の目標に向かって、まずは一歩を踏み出すこと。
ある日、明日羽は、偶然行くことになった青空マーケットで、会社の同僚の郁ちゃんを見つけます。そこで、豆を売っている郁ちゃんの姿に、何か情熱を感じます。彼女のように、本当は何か夢中になれるものが欲しい!そう思った明日羽は、さらにリスト作りに懸命になります。そこへ、水を差すのが、知り合いになったエステシャンの桜井さん。自分の弱点を克服するためのリストだったら、やめたほうがいいんじゃないって。え~っ、この人、ちょっと意地悪くないか・・失くした何かを埋めるための懸命リストだって、いいじゃないか? 人間、そんなに急には、成長できないし。
失恋の痛手も、いつしか乗り越えて、人の心の痛みもわかるようになった明日羽の生活は、仕事でも新製品のプロジェクトチームに選抜されたり、少しづつ変わっていきます。そして、一時の感情に振り回されすぎないで、やりたいことをこつこつやれるような、精神的に自立した人になっていきます。"私の選ぶもので、私はつくられる"こうありたいと思う自分を描くことで、なりたい自分に近づいていくことに明日羽は、やがて気がつきます。
そうか、そのための、ドリフターズ・リストか。私も、この本を読んで、自分のためのリストを作ってみようかな?とつい思ってしまいました。20代や30代のあのなぜか息苦しい頃に、こんな小説に出会っていたらなあなどと思いながら。お父さんが仕事帰りに買ってきてくれる百円アイス。お母さんが作ってくれる、毎日のごはん。お兄ちゃんが焼いてくれるあまり甘くないホットケーキ。宮下作品の家族の細やかな描写に、自分の家族の風景を重ねながら。普通に前を少しだけ向いて生きていくことが、こんなにも愛おしいことだったのか、ふんわり幸せな気持ちにしてくれる一冊です。
- 有隣堂川崎BE店 佐伯敦子
- 江戸川乱歩の少年探偵団シリーズが大好きで、登下校中に歩き読みをしながら、電信 柱にガンガンぶつかっていた小学生は、大人になり、いつのまにか書店で仕事を見つけました。あれから二十年、売った本も、返品した本も数知れず。東野圭吾、小路幸也、朱川湊人、宮下奈都、大崎梢作品を愛し、有隣BE姉、客注係として日夜奮闘しています。まだまだ、知らないことばかり、読みたい本もたくさんあって、お客様から、版元様から、教えていただくことがいっぱいです。