『作家の珈琲』コロナブックス編集部
●今回の書評担当者●蔦屋書店ひたちなか店 坂井絵里
珈琲豆を贈り物にするときに、一緒にこの平凡社のコロナブックスの『作家の珈琲』を美しい焦げ茶の包装紙にくるみ、つや消しの金のリボンをくるっとかけたら、なんて素敵なのでしょう。
本書は25人の作家の珈琲にまつわる思い出を、作家自身がお気に入りの喫茶店や自身の書斎で珈琲を愉しむ写真とともにまとめられた、今にもいい香りがただよってきそうな一冊です。
書影にはありませんが、本の初版には金の帯が巻かれています。帯文には<ひょっこりひょうたんコーヒー、ファンキー古本三昧コーヒー、酔いどれコーヒー、倚りかからずコーヒー、etc. コーヒーと作家25人のお熱い関係>とかかれています。それぞれの作家が思い浮かぶ、ユニークな帯文です(ファンキー古本三昧コーヒーは植草甚一さん!)。
他にも目次をみると<ひねもすコーヒー><しあわせの黄色いコーヒー>と続きます。表紙の作家は松本清張、<甘党コーヒー>です。撮影している方に気を許していて思わず笑ってしまったような、親密な空気があいだに流れるいい写真です。撮影者は当時の担当編集者、藤井康榮さん。「砂の器」の作者はお酒を呑まず、コーヒーに砂糖をスプーン3杯いれたそうです。藤井さんは当時を振り返ります。"その超人的な思索や着想に、コーヒーは大いに寄与したと思うのである。"
そしてその渋い黄味がかった金の帯は、書名の珈琲とともにネスカフェゴールドブレンドを思い出すなあ......と考えていると、本書126ページ、『ネスカフェゴールドブレンド 違いがわかる男シリーズ』のページがありました。昔のテレビ画面をおもわせる長方形に切り取られた角マルの写真に、1971年に起用された黛敏郎さんから、北杜夫さん、遠藤周作さん、と当時CMに起用された懐かしい著名人がコーヒーを飲む写真がならびます。ダバダ~ダバダ~の曲が誌面から流れてきそうで頬が緩みます。
この思わず笑顔になるページや帯に象徴されるように、本書は全ページにわたって優しいユーモアにくるまれています。また、コロナブックスシリーズなので写真がたくさん掲載されているのも嬉しいところです。家族などから提供されたものや海外の喫茶店の写真以外は、ほとんど1981年生まれの栗原論さんが撮影されているのですが、店内も、珈琲のはいったカップも、作家の自宅での撮影も、対象に対する距離感が絶妙で、とても丁寧で、被写体への愛を感じる素敵な写真ばかりです。
その写真と文章とのレイアウトも、余白のバランスが素晴らしく眺めていて飽きません。書体は色、大きさともにページごとに考えぬかれていて、長方形を軸にした文字や写真の置きかたはページを綴っていて心地よいリズムが感じられます。作家25人と珈琲のそれぞれの香りがページから溢れるように計算された、贅沢な一冊です。
普段飲みなれていて、一日一杯は飲まないと......という方も多い飲み物でもある「珈琲」という枠でくくられている作家のエピソード。読んでいると、珈琲を一緒に飲んでいる近さでおはなしを聞いているような気がしてきます。
安岡章太郎さんの長女治子さんによると、"ドリップで淹れた濃い珈琲に、温めたミルクと砂糖を入れたものを、いったい一日に何杯飲んでいたことだろう。「珈琲は寝る前にも飲むとゆっくり休める」などと言ってたぐらいだから、我が家にはいつも珈琲の香りが漂っていた。"
次のページをめくると、そのミルクと砂糖がはいったものであろう珈琲が、書斎で絶筆になった原稿と、静かな時間とともに、栗原論さんが写真として収めています。
常盤新平さんの項では、坪内祐三さんのエッセイ"常盤新平さんと一緒に飲んだコーヒー" が。
"常盤さんとの時間を共有できた喫茶店はほとんど消えてしまったけれど神保町の「壹眞(かづま)」が残っているのは嬉しい。1988年(略)初めて常盤さんにお目にかかった場所、それが神保町の「壹眞」だった。一番入口に近いテーブル席、私はついきのうのことのように覚えている。二十五年以上前なのに。"
待ち合わせは喫茶店の時代、記憶にいつまでも残るその場所。きっと変わらない店内。変わらない香り。その席でコーヒーを飲んだら二人が出逢ったその時に時間旅行ができそうな気持ちになります。
エッセイの左ページには常盤新平さんの97年の日記帳と99年の手帖が開いた状態で撮影され、文章がくっきりと読めます。
日記にはブルーの万年筆で陽子夫人と出かけた記述があり、"8月1日くもりのち晴 暑 陽子と町田へ 小田急で陽子の水着。ビーミーでパン。"
当時町田に住んでいたもので、どこかですれ違っていたかもしれないなあ......ビーミーはいまはなくなってしまったなあ......と珈琲を飲みながらぽわんと考えたりしました。
次のページは写真が5枚。町田市の自宅の庭の写真は、テラスのテーブルに夫人とよく食べたであろう珈琲と大丸焼。アメリカ旅行で買ったコーヒーカップ。師とあおいだ山口瞳からのハガキ。そして自宅のダイニングの写真は、常盤さんがよく座っていた目線から撮影したもの。テーブルには日常を映すように新聞紙とペンたて。目の前には微笑んでコーヒーカップを手に座る夫人。明るい陽の光がはいり、常盤さんの気配を感じる優しい写真にしばし見入っていました。
『カフェと日本人』(高井尚之 講談社現代新書 2014年初版)によれば、日本で最初にコーヒー飲用記とされる1804年に記された一文に"焦げくさくして味ふるに堪ず"とあったそうです。それから戦後に喫茶店文化が花開き、約200年。喫茶店や珈琲は、人の記憶や心の大事な場所にも浸透するような、なくてはならない場所であり飲み物であり香りになり......。
珈琲がなかったら生まれなかった作品もあったのではないかと夢想します。
本書を手に、本書に掲載されたあちこちのの喫茶店へ。そこで思い切り珈琲の香りを吸い込んで、目をつむりたい。きっと行ったことがない場所でも懐かしさを感じ、珈琲の香りとともにそこは記憶され、珈琲がまたさらに特別なものになっていくのでしょう。
- 『今を生きるための現代詩』渡邊十絲子 (2015年7月9日更新)
- 『真夜中の庭』植田実 (2015年6月11日更新)
- 『口笛を吹きながら本を売る』石橋毅史 (2015年5月14日更新)
- 蔦屋書店ひたちなか店 坂井絵里
- 1971年東京生まれ。学生の頃は本屋さんは有隣堂と久美堂が。古本屋さんは町田の高原書店と今はなきりら書店がお気に入りでした。子どもも立派なマンガ好きに育ち、現在の枕元本は、有間しのぶさんに入江喜和さん、イムリにキングダムに耳かきお蝶・・とほくほく。夫のここ数年の口ぐせは、「リビングと階段には本を置かないって約束したよね?」「古本屋開くの?」「ゴリラって血液型、B型なんだって」 B型です。