『ジェーンとキツネとわたし』ファニー・ブリット(文)イザベル・アルスノー(絵)
●今回の書評担当者●蔦屋書店ひたちなか店 坂井絵里
「バスに乗ると、わたしは本を取り出す。まだ半分しか読んでいないけど、今までのなかで最高にいい本だと思う。それは『ジェーン・エア』という本。」
「学校と家の片道で、ふつうはだいたい13ページ読める。」
冒頭、主人公の少女の通う学校。映画のように画面がながれ、おびえたようなあきらめたような顔をした少女がトイレから出てきます。
「きょうはどこにも居場所がない。」
主人公の少女は"わたし"。『ジェーンとキツネとわたし』の"わたし"、エレーヌ。
『ジェーンとキツネとわたし』の、「ジェーン」は、1847年に発表されたイギリスの小説『ジェーン・エア』の主人公のことです。作者シャーロット・ブロンテが30歳のころに執筆し、当時イギリス文壇に多大な影響を与え、今も読み継がれている文学小説です。
孤児になったジェーンが預けられた叔母の家で酷い扱いをうけ、その後寄宿学校にいれられ、家庭教師としてロチェスターという主人のいる屋敷へ赴きます。孤独と戦いながらも自己を見失うことなく自分の人生を生きた女性の小説を、"わたし"はいつも持ち歩きます。
「(わたしの)ツタみたいに伸びていく想像力」に穴をあける、向かってくる、からかいの声やひそひそ声が聞こえると、わたしは「ジェーン・エアの世界にもどる。」
本作はグラフィック・ノベルという枠にはいる、絵本とはまた違う、絵本+小説+コミックのような本です。コマがありマンガのようでもありますが、マンガとはいいきれず、レイモンド・ブリッグズの有名な絵本、『スノーマン』や『さむがりやのサンタ』のような、絵本とコマと融合したようなかたちといえばいいでしょうか。100ページ弱ある珍しい児童書ですが、読むとこの形態がこの作品の最良のかたちなのだとよくわかります。この判型(約280 x 210 x 150mm)も少女の気持ちの広がりや空間をあらわし、絵本の形態なので児童書の棚にこの本を置くことができます。バンド・デシネのソフトカバーでつくられたら届かない層へこの物語が届くでしょう。
文はファニー・ブリット。本作で、カナダ総督文学賞を受賞。イラストは/イザベル・アルスノー。初のグラフィック・ノベルである本作で、カナダ総督文学賞を受賞。カナダが誇る最高のイラストレーターのひとりともいわれています。他の作品でも同賞を受賞していて、3回目の受賞になります。翻訳は河野万里子さん。新潮文庫の『星の王子さま』も翻訳されている方です。コマごとにテンポある文章で、絵とともに流れるように読ませてくれます。
また、本作はガイマン賞2015で10位に選ばれています。「ガイマン(GAIMAN)」とは、主催者(京都国際マンガミュージアム、米沢嘉博記念図書館、北九州市漫画ミュージアムの3館の共同主催)のHPによると、『アメコミ(アメリカ合衆国)やバンド・デシネ(フランス語圏)、マンファ(韓国)など、日本以外の地域で制作された海外のマンガ全般を指す造語』で、そんな作品群の魅力をより多くの方に知っていただくために設立された賞ということです。
『ジェーンとキツネとわたし』は、児童書であり、海外マンガであり、なのに読後感は、一冊のみずみずしい小説を読んだあとのようです。そして、なんといってもとても繊細なイザベル・アルスノーの絵。見飽きることのないタッチで描かれていて、雨の音や風の音が聞こえるような、モノトーンなのに春の光を感じる、やさしい画集を見たようなとても贅沢な気持ちになるのです。
薄いベージュの色だけがうっすらついた、色のない世界を歩く少女。はじめは学校にいても、家に帰ってでさえ、少女がいる世界はモノトーン一色。眩しく、美しい色がついた少女の居場所を暗示する世界は、ジェーン・エアの世界だけ。モノトーンの世界での少女の表情、しぐさ、ふとしたことで丸くなる背中。とりまいている息苦しさ。目をつむる。聞きたくない言葉の羅列が耳から入ってきたときのその表情。まわりが気になる。
「バスのなかでのわたしの戦術:集中しているふりをして、本を読みつづける。」
そのあらゆる表情の中に時々むかしの自分がみえます。いまの自分もみえて、娘もそこにいます。知っているあの子も、過去に少女だったあの人も、会ったことのない小説の世界の少女もみえます。
「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるのである。」という、三木清の『人生論ノート』の、孤独について、の一文を思い出します。
孤独と集団。一人でいたいと思うと同時に一人ではいたくないと思う気持ち。少女は思います。
「40人いても、友だちはひとりもいない。」
この本には購入時「いじめ、こわくない」という出版社の帯がついていました。いじめがひとつのテーマの物語かもしれないのですが、わたしの中ではこの本は、孤独の中のひとつの成分ともいえる甘味を、おかれた孤独の中で自ら見つけて、それを味わうことができるようになった少女の物語にみえました。
そして、『ジェーンとキツネとわたし』の"キツネ"。
キツネはクラス全員が行かなければならないキャンプ合宿の最終日の夜、テントの外でジェーン・エアを読んでいた少女の目の前にあらわれます。キャンプの夜というグレートーンのページが続いたところで、鮮やかな赤茶色の小さなキツネが、灯りが燈ったようにあらわれます。カナダの本なので、漢字にしたときに"狐"と孤独の"孤"が似ていることは、なんの関係もないのですが、なんとなく符合したような気持ちになり、「あまりにもやさしい目をしている」キツネの目をわたしも見つめます。
本の中で最後、少女はひとりで歩いています。そこから世界が鮮やかに色づいていくラストシーン。その数ページ前の、「わたしのいちばんの友だち」と、友だちと笑いあうページではまだモノトーンだったのに。風景や周りの人々が色づいていくなかで、少女のなかで唯一色づいていたのは、くつ。くつがキツネと同じ赤茶色にそまり、少女はいつもの帰り道を、その狐色のくつで、笑みを浮かべて歩いていきます。
「わたしはジェラディーヌに、この本を貸してあげる約束をした。
それで、こう言ってある。
「読めばわかるけどね、結末はすてきだよ。」」
いま、孤独だと思う少女。かつて、孤独だと思っていた少女。娘へ。娘たちへ。『ジェーンとキツネとわたし』のジェーンを持ち、キツネがいる『あなた』へ。懐かしい未来の"わたし"へ。この本が読まれますように。
- 『私の万華鏡ー文人たちとの一期一会』井村君江 (2016年1月14日更新)
- 『小さな倫理学入門』山内志朗 (2015年12月10日更新)
- 『ヤンとシメの物語』町田純 (2015年11月12日更新)
- 蔦屋書店ひたちなか店 坂井絵里
- 1971年東京生まれ。学生の頃は本屋さんは有隣堂と久美堂が。古本屋さんは町田の高原書店と今はなきりら書店がお気に入りでした。子どもも立派なマンガ好きに育ち、現在の枕元本は、有間しのぶさんに入江喜和さん、イムリにキングダムに耳かきお蝶・・とほくほく。夫のここ数年の口ぐせは、「リビングと階段には本を置かないって約束したよね?」「古本屋開くの?」「ゴリラって血液型、B型なんだって」 B型です。