『デミアン』ヘルマン・ヘッセ
●今回の書評担当者●蔦屋書店ひたちなか店 坂井絵里
いろいろな本が本棚や床のうえで冬眠している。母が、読み終わったから次に読む?と送ってくれたゲーテの『若きウェルテルの悩み』も『親和力』も、いつかいつかと思っているドストエフスキーもシェイクスピアも。古典といわれる文学たちが新しい文学たちとの間にはさまり静かに本棚に佇む。
細かい文字が読みづらくなってきて、おやおや・・と自分で自分にびっくりする。本を読むということがあたりまえのようだったが、実は読むための自分の部品に限りがあることがあたりまえということにびっくりする。そして背表紙を眺めてかんがえる。
新しい文学も読みたいが、やはり部品が故障する前に古典は読みたい......。それから、十代、二十代のときに読み、どこに感動したのかは憶えていないのに、そのときの衝撃だけは強く憶えている、あの文学たちを、あのときと同じ出版社の、あのときの判型やデザイン、書体のままで、揺らめく古書の薫りとともに、もう一度読み直したい......。
それは晶文社のサローヤンの『人間喜劇』であったり、ブロンズ新社の親本もいいが、新潮文庫で読んでいた伊丹十三・訳のサローヤンの『パパ・ユーアクレイジー』であったり、サンリオ文庫の熊の表紙のアーヴィングの『ガープの世界』であったり、くすんだ黄緑色のカバーの新潮文庫のモームの『月と六ペンス』であったり。
そして。
薄い空色のカバーの旧版の新潮文庫、高橋健二さん訳のヘルマン・ヘッセ『デミアン』。
作家の赤川次郎さんが、平凡社のコロナブックス『ヘッセの水彩画』の序文でこう書かれています。〈いつかヘッセの本を全部読み直してみたいと思う。そこに新しいヘッセの顔を見出せるかもしれない。──いや、それはむだなことだろう。ヘッセの魂がくぐり抜けた嵐は、若い人々にこそ衝撃を与えるのだ。若い世代が、今の文学だけでなく、ヘッセやロマン・ロランにも目を向けてほしいと、切に願わずにいられない。〉
そうだ。思いだす。わたしも十代でデミアンに出逢った。十代の終わりのころに読み、ああ、この本はわたしの御守だ、とカバンにずっといれていた。角がボロボロになり、いまのものは二冊目だ。あのころどんなふうに『デミアン』を理解したのかは憶えていないのに、『デミアン』の文庫本を手にするだけで胸がぎいっときしむ。あのころにつくられた衝撃のかけらは、今も確かにからだの一部になっている。
ヘルマン・ヘッセとの出逢いが、教科書だったり、読書感想文用の本だったりした方が多いかもしれない。実際わたしもはじめの出逢いは教科書での『車輪の下』だったと記憶する。かなしいかな、文豪たちとのはじめの出逢いというのはなかなかまっさらな気持ちのままでとはいかない。教科書や便覧で、なまえと代表作を覚えて、文豪ですよ、大作家ですよ、テストにでますよ。ヘッセもそんな出逢い方だった。いま高校生の娘も、やはりヘッセの本を見て、ヘルマン・ヘッセ?知ってるよ、と本はきちんと読んでいないがやはり名まえを知って読んだ気になってしまう......というようだ。
でもまさにそんな、いまの娘の年頃の少年少女や二十代の若い人々に、ヘッセと出逢ってほしい。
若葉のころにかかえるであろう、悩みのひとつの答えがこの本のなかにあるのだ。
69歳のときにノーベル文学賞受賞。ドイツ最大の抒情詩人ともいわれている、ヘルマン・ヘッセ。
『デミアン』は第一次世界大戦直後に発表され、当時迷えるドイツ青年層に大きな衝撃を与えたという。ヘッセ42歳(実際に書かれたのは40歳)のときに発表された作品だ。
主人公シンクレールは、〈平和な家のなかのひとつの正しく明るい世界〉で過ごしていたが、ある嘘により〈暗く、それとは別の異様な空虚と孤独の世界〉が彼の日常に入りこみ、やがてそれは日常ではなくシンクレール自身の中にも入りこむ。
ある日転校生がやってくる。それが、紳士のように異様にできあがった様子で立ちまわる、賢そうで明敏な少年、デミアンだった。デミアンは暗闇からシンクレールを導くのだが、ときにその暗闇を際立たせる役割ももつ。この作品のはじまりのシンクレールの言葉が全編を包む。
「私は、自分の中からひとりで出てこようとしたところのものを生きてみようと欲したにすぎない。なぜそれがそんなに困難だったのか。」
明と暗。正と邪。白と黒。暖と冷。その混濁と混沌。シンクレールのなかにいる〈デミアン〉との出逢い。常にふたつの世界を行き来する、内面への道への、自己への道への、思索の物語だ。
心理学、精神分析、さらに仏教、東洋哲学とヘッセが関心を深めていったなかで書かれたという『デミアン』。完全なる真剣さをもち思索をするシンクレールとデミアンに、十代のわたしは多分憧れをいだき、生の意味を一緒に考えることができる、友のような本だったのだろうと、いま思います。
デミアンからの返事と暗示された紙きれに書いてあった言葉。ここにわたしは栞を挟んでいました。わたしはわたしの〈デミアン〉を、本を持ち歩くことでその到来を待っていました。
「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。」
ヘッセの内に内にと向かった心は、絵の世界では外へ外へと向かいバランスをとったのか、四十代から突然はじめたという水彩画は、風景画が多数を占めます。八十五歳で亡くなるまでに、残した作品は二千点以上にも及んだそうです。印刷でしかわたしは作品を見たことがありませんが、その筆づかいは優しさに満ち、ヘッセが愉しそうに色をのせる様子が伝わってきます。水彩特有の滲みでさえも、透明感と光に溢れてみえます。
そしてわたしが後に知り急激にヘッセを身近に感じたのは、ヘッセは十八歳のころから約十年ほど、書店で働いていたということです。主に古書を扱う『ベッケンハウアー書店』その後は『ライヒ書店』。お店にあった本を毎夜読み漁り、独学で文章を書き始めたといいます。
ヘルマン・ヘッセ。1877年生まれ。来年2017年は、ヘッセ生誕140年にあたります。
- 『ジェーンとキツネとわたし』ファニー・ブリット(文)イザベル・アルスノー(絵) (2016年2月11日更新)
- 『私の万華鏡ー文人たちとの一期一会』井村君江 (2016年1月14日更新)
- 『小さな倫理学入門』山内志朗 (2015年12月10日更新)
- 蔦屋書店ひたちなか店 坂井絵里
- 1971年東京生まれ。学生の頃は本屋さんは有隣堂と久美堂が。古本屋さんは町田の高原書店と今はなきりら書店がお気に入りでした。子どもも立派なマンガ好きに育ち、現在の枕元本は、有間しのぶさんに入江喜和さん、イムリにキングダムに耳かきお蝶・・とほくほく。夫のここ数年の口ぐせは、「リビングと階段には本を置かないって約束したよね?」「古本屋開くの?」「ゴリラって血液型、B型なんだって」 B型です。