『コリーニ事件』フェルディナント・フォン・シーラッハ
●今回の書評担当者●丸善津田沼店 酒井七海
あ、実はわたし『犯罪』も『罪悪』も未読なんです・・・。
すみません。大ヒットした前2作を読まずに、新作について語れるのか・・・と自問いたしましたが、おそらくこれは少し毛色の異なる作品なのではないかと、自前の勘で(いや、その機能に自信を持ったことは一度もございませんが)判断いたしました。
だって、まずこれミステリじゃないですよ。
たった200ページたらずの中編です。
それでもわたし、これは大作だ。と思いました。
閉じてからその本の薄さに心底びっくりしたほどなのです。
たしかに物語はシンプルです。1人の新米弁護士が受けもつことになった裁判は、家族ほどに親しかった人物を殺した犯人を弁護するというもの。苦悩するも運命を受け入れたが、単純と思われていた事件の裏には隠されていた真相があった・・・。というシーラッハの専門分野である法廷もの。
終始たんたんと、感情を極力排してつづられていく文章は、小さな波がひたひた、ひたひたと少しずつ満ちていくようで、気がついたら押し殺していた感情で胸が満ち満ちていたような、感覚に陥りました。
歴史にはだいぶうといので、ナチスドイツとイタリアの関係や、その当時の政治の動きなどぼんやりとしか知りません。ですが、その場に実際にいた人たちが体験していた"戦争"はそういうところにはないということが、この本を読んでよくわかりました。
物語はもちろんフィクションです。でも作中明かされるコリーニ事件の真相こそが本当の生身の人間の歴史であるようにわたしには感じられました。
いや・・・わたし、今になって感想を書くのがとても難しい本を選んでしまったことに気がつきました。
これ以上本の内容に触れてしまうと、ネタばれになってしまうじゃないですか。
えっもう!?とびっくりされるかもしれませんが、それほどシンプルな物語なんです。
戦争を知らないわたしたちにとって、なんの理由もなく人を殺すということは、完全に罪であるし、悪であるという認識だと思います。
ですが、戦争においては人を殺せば英雄になる。もしくはそれが日常になる。わたしたちの認識はわけもなくひっくり返り疑問に思うこともなくなってしまう。
この世に"絶対"なんてことはありません。そう考えたら"正義"ってなんでしょうね。
わかりません。
わたしたちは、自分のぶれない正義を持つべきなのでしょうか・・。
それも、正直わかりません。
ただ現実の国や歴史がかかげる正義は、悲しいことに人民のためではなく、だれかの都合のうえに成り立っているものなんだということを改めて考えました。
人間というものの本質を、ひとつの事件によって(しかもこのページ数で)ここまで掘り下げることができるということに心底驚嘆した1冊です。
- 丸善津田沼店 酒井七海
- 書店員歴やっと2年の新米でございます。本屋に勤める前は、バンド やったり旅 したりバンドやったり旅したりして、まぁようするに人生ぶらぶらしておりました。とりもどすべく、今は大変まじめに働いております!本を読む ことは人生で 2番目に好きです。1番目は音楽を聴くことです。音楽と本とときどきお酒があればだいたい幸せです。