『ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅』レイチェル・ジョイス
●今回の書評担当者●丸善津田沼店 酒井七海
ふと、衝動的に足下のただただどこかにつながる一本の道を見て、よし、このままどこまでもてくてくと歩いて行こう......と思ったことがあるだろうか?
道のむくまま、気のむくままでも、どこか定めた場所があってもよい、とにかくこの道が続く限り、自分の足で、、、
わたしは............ない。
電車やバスに乗って、このままどこかに行ってみたいと思うことは、星の数ほどあるけれど、歩いていこうなんて勤勉に思うことはまったくないでございます。
わたしが信じるにハロルド・フライもそうだったのだと思う。
65歳をすぎるまで、このまま歩いて1000kmも離れた場所まで行こうなんて夢にも思わなかった。ある日トルコ菓子のようなピンク色の手紙が彼のもとに届くまでは。
そう、歩き出してしまうんだ、このじいさんは、くたびれたデッキシューズでなんの準備もなく。
歩く。ただ歩く。
右足を一歩前に出し、その前に左足を置く。左足の前にまた右足を持ってくる......その繰り返し。
それがなぜこんなにも、複雑で鮮やかな想いを呼び起こすんだろう。
歩くということには、なにか不思議な効果があるような気がする。
ときどき、たいした距離でもないけれど、散歩をしたりすると、今まで思い出したこともなかったようなささやかで懐かしい記憶が呼び覚まされたりする。まれに、後から後から次々と弾けるポップコーンのように、ポンポンと飛び出してきて、それが新しい考えにつながったり、見方を変えていったり......はたまた、昼間言われて傷ついたりした一言を反芻して、それまでかたくなだった心を、そういう考え方もあるのかとふと軟化させてくれたりすることもあったりする。
ハロルドもやはり、長い長い距離を歩いて行くうちに、呼び覚まされた古い記憶や、妻や息子への想いを何度も、何度も繰り返し温めては、捨て、温めては捨てる。そうして徐々に形を変えて行く過去や自分と向き合っていく度に後悔したり、喜びに満ちたり。
それはまさに、いままで通り過ぎてきた人生そのものなのだ。
ぎゅっと凝縮された自らの過去を見つめるうちに、自分が何をして、何をしてこなかったのか、何をするべきであったのかが、ゆっくりと見えるようになってくる。
それが、熟考されたことばを通してこちらにももう、痛いほど伝わってくるのだ。
ハロルドが見た青白い月明かりの心細さも見えてくるほどに。
心震えた。
何度も、何度もこんなことをして何になるのか......との想いにとらわれる。それでも踏み出した一歩はそれにふれたすべての人たちの心に、やわらかな足跡を残す。
トルコ菓子のピンク色のように胸に鮮やかに残っていく。
最後のページまで、しずかに、しずかに読み終えると、立ち上がって全身全霊をこめた拍手を送りたくなった。そのときわたしは部屋にたった一人だったけど、無心で祝福の意味をこめて。
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- 丸善津田沼店 酒井七海
- 書店員歴やっと2年の新米でございます。本屋に勤める前は、バンド やったり旅 したりバンドやったり旅したりして、まぁようするに人生ぶらぶらしておりました。とりもどすべく、今は大変まじめに働いております!本を読む ことは人生で 2番目に好きです。1番目は音楽を聴くことです。音楽と本とときどきお酒があればだいたい幸せです。