『いつも手遅れ』アントニオ・タブッキ
●今回の書評担当者●丸善津田沼店 酒井七海
タブッキが亡くなってから、1年がたった。
この1年この本が出ることを待ち望んでいたわたしは、先月河出書房さんからの新刊案内を見て、文字通り狂喜乱舞した。
職場だったのでアレだったのだが、心の中では小躍りどころじゃなく踊りまくっていた。
わたしがタブッキに出会ったのは、10年ほど前。
とある本屋さんで面陳されていた『インド夜想曲』(白水Uブックス)を手にとったときだった。
タイトルにあらがえないほど強く惹かれてしまい、そのままレジへ持っていったことを覚えている。
当時のわたしは本屋でもなかったし、読書は好きだったがそんな買い方をすることはまずなかった。
はじめて読んだときは、なんだかよくわからなかった。
なんだかよくわからなかったけど、確かにいままでそんな本は読んだことがなかった。
あとでずっと尾を引くほどの強い印象を残すに充分な文章だった。
そこにはたしかに、音楽があった。少なくとも音楽のようなものが。
まさかこういった場所で、タブッキの新刊を紹介する機会にめぐまれるとは思わなかった。
わたしは今、本当にうれしい。
うちの犬がよっぽどうれしいときにしっぽをぶるんぶるんと回すようにふるんだけど、もしもわたしにしっぽがあったらきっとちぎれるほどに回しただろうと思う。そのくらいうれしい。
さて、いつも前置きが長くなってしまう。はじめよう。
『いつも手遅れ』、まずタイトルがいい。
人生のザンネン感がにじみでている。いつだって気付いたときにはもう手遅れなんだわたしたちは。
短編集なのだけど、18通の手紙のかたちをしている。
おそらくはどれも読まれなかった手紙。
たくさん愛した人、もしくは少しだけ愛した人たち(中にはヘモグロビン様へなんていうのもあるが、、)に書かれた非常に個人的な手紙だ。
恋文だったり、懺悔や後悔の言葉だったり、感謝の言葉だったり......。
個人的なものだから、だからなんなのかという問いはここではまったく無意味なものなのだと思う。
ただ、わたしにはすべて終わったあと彼岸の向こう岸から、もう会えなくなった人たちにむけて書かれたことばのように思えた。
ことばを使って記憶を旅する。
ここでの記憶はただ現実に起きたことだけじゃない。流れていた感情の波、音楽を使ってたどっていた本物の幻想のこと。その幻想のためだけに生きていたこともあるという記憶。
それから一滴の血もそうだ。
血液は赤血球と白血球だけでできているわけじゃなくて、とりわけ記憶から成っているという話があった。
そうしてその血を取り巻く有刺鉄線があるのだと。わたしはそれに覚えがあった。
読んでいるあいだ、このうえない幸せを感じていた。
わからないところはわからないまま読んだし、それでいいと思うのだ。
いつものことだけれど、とにかく文章が美しい。
それでわたしは音楽を聴いている気分になる。
というか......この文章がもはや音楽なのだ。
繊細だけど大胆で美しい、躍動する音楽なのだ。
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- 丸善津田沼店 酒井七海
- 書店員歴やっと2年の新米でございます。本屋に勤める前は、バンド やったり旅 したりバンドやったり旅したりして、まぁようするに人生ぶらぶらしておりました。とりもどすべく、今は大変まじめに働いております!本を読む ことは人生で 2番目に好きです。1番目は音楽を聴くことです。音楽と本とときどきお酒があればだいたい幸せです。