『沈むフランシス』松家仁之
●今回の書評担当者●丸善津田沼店 酒井七海
松家さん、この表紙の愛らしくもかっこよい犬ころは......まさかアレですか? アレですよね。それは! なかなかやりますな~、むふふ。
と思ったわたしは変態であろうか......。
昔読んだ本にこんなことが書いてあった。
人間はみな変態である......と。(意訳)
念のため言っておくけど、ふざけた本ではない。
心の中の欲望を解放すれば、すべての人がわけへだてなく変態なんだそうだ。
ちょっと感動した。
この『沈むフランシス』は、その解放した本能を呼び覚ますほど、むせかえるようなにおいに満ちていた。
原始から脈々と水は流れ、土を育み、生き物たちを見守ってきた森が生まれる。今、街が建っている大地も決してずっと同じだったわけではない。長い時を経て少しずつ少しずつ育ち、形を変えてきた。水の流れや光の移り変わりとともに。
北海道のそんな自然のある小さな街を舞台に、都会から引っ越してきて郵便配達をはじめる主人公、撫養桂子(むよう けいこ)。小さな街の閉ざされた空間で、好気の目と表面上の無関心さとの間でとまどう桂子は、ある日この世のあらゆる音を集めている男に出会う。
と書くとまるでファンタジーのようだが、そうではなく彼はオーディオマニア。というか、音マニアか。自身で真空管のアンプを作り、特殊な集音機でさまざまな音を集め、電気の回路にまでこだわったオーディオシステムで聞くというちょっと、いやかなり変わった人物だ。
このスピーカーで音を聴くときの描写がすごい。あまりにも臨場感にあふれているので、本当にその音が聴こえてくるような気がするうえ、鳥肌までたつ。
ここで引用してもいいのだけど、短文を抜き出してもその効果は半減するような気がするし、そもそも音というのは場所(空間)が絶対的に重要なものであるので、ぜひご自分の場所で本物を読んでみてほしい。
前作『火山のふもとで』のときにも感じたけれど、松家さんは音に対しておそらくなみなみならぬこだわりのある人だ。その繊細な文章も常にどういう音で書くのか、そこに重点をおいているような気がしてならない。だから美しいのだと思う。
生き物がうごめく世界では、音のない場所などありえない。つまりはそれは本質なのだ。
ふたりは、出会い、音を聴き、食事をともにする。そうして大きなベッドへゆく。フランシスがなんなのかは今はまだ言えない。
ラブストーリーとして読んでもいいし、ミステリーとして読んでもいい。(なんせしょっぱなから人が死んで、川を流れてる。)純粋に音楽を聴く気分でことばを聴いてもいいし、満点の星を見る気分で、眺めていたっていい。
読み終えてしばらくたったのだけど、いまだに受けた感想を口に出すことにとまどってしまう。それは、手のひらですぐに溶けてしまう雪の結晶そのもののようだったから。
表紙の愛らしいワンコの鼻づらを眺めていたら、ひとつぶ小さな雪の結晶がのっていることに気がついた。その瞬間、わたしはこの本をしっかりと抱きしめたくなったのだった。
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- 丸善津田沼店 酒井七海
- 書店員歴やっと2年の新米でございます。本屋に勤める前は、バンド やったり旅 したりバンドやったり旅したりして、まぁようするに人生ぶらぶらしておりました。とりもどすべく、今は大変まじめに働いております!本を読む ことは人生で 2番目に好きです。1番目は音楽を聴くことです。音楽と本とときどきお酒があればだいたい幸せです。