『水の柩』道尾秀介

●今回の書評担当者●丸善書店津田沼店 沢田史郎

【嘘をつこうとする時、人は大抵、自分が背負い込むことになる荷物の重さに気が付かない。即ち、一つの嘘を押し通す為に、新たに二十もの嘘を考え出さねばならないということに】──スウィフト
【人生に於いて何よりも難しいことは、嘘をつかずに生きることだ】──ドストエフスキー
【嘘とは、転がせば転がすほど大きくなる雪玉のようなものである】──ルター

 とまぁ「嘘」にまつわる名言・至言は枚挙にいとまが無いのだけれど、裏返して見るとそれは、我々人間が如何に「嘘」をつく生き物であるかを、図らずも証明しているのではなかろーか。実際誰だって、小さな嘘なら数知れず、一生忘れられないような重い嘘も、一つや二つは胸にしまってあったりするでしょう?
 道尾さんの最新刊『水の柩』でも、根は善良な人々が、自分自身の嘘に傷つき振り回される姿が、キリキリとした痛みをもって描かれる。

 舞台は、地方のさびれた温泉街。中学二年生の逸夫は、山も谷も無い平板な生活にうんざりしながら悶々とした日々を送っているが、或る日、同じクラスの敦子から、彼女が長い間イジメを受けていたことを告白される。そしてそのみじめな思い出を払拭するために、敦子は一つの「嘘」を計画し逸夫に協力を求める。
 同じ頃ふとした偶然から、逸夫は、祖母が長年隠し続けてきた秘密を知ってしまう。以来、矍鑠としていた筈の祖母からは生気が抜け、一気に老け込んでゆく。
 敦子と祖母、二人の絶望をどうにかして救いたいと願う逸夫だったが......。

 ってなストーリーで、今回の道尾さんは驚いたことにミステリー色はグッと抑えめ。むしろ、『少年時代』(池永陽、双葉文庫)とか『エイジ』(重松清、新潮文庫)とか『帰宅部ボーイズ』(はらだみずき、幻冬舎)とか、とにかく少年文学とか成長小説といった色彩がとっても強い。

 そしてまぁ何よりも、文章が豊かっつーか表現が多彩っつーか、ミステリーファンだけに独占させとくのは勿体無い! ということをご理解頂きたいので一ヶ所ひく。逸夫と敦子が初めて言葉を交わすシーン。ギクシャクとした会話が途切れた際の描写。
【敦子は曖昧に言葉を濁し、そのまま黙った。逸夫も一度話しかけたことで何か義務を果たしたような気になり、黙って歩いた】
「あぁ、解る解る」と思いません? ストーリーの起伏だけに頼らずに、こういった丁寧な心情描写をコツコツと積み重ねてゆくことで、ミステリーという枠組みに収まりきらない名作が誕生したと、日本中が反対しても私は断固主張したい。そして読後には、例えば文豪・井上靖の『夏草冬濤』(新潮文庫)を初めて読んだ時のような、静かな高揚と清涼感が待っているという点も忘れずに言っておこう。

 最後に蛇足ながら、「嘘」にまつわる名言をもう一つ。

【日常生活で、人々が概ね正直に生きるのは何故か。神様が嘘をつくことを禁じたからではない。それは第一に、嘘をつかない方が気楽だからである】──ニーチェ

 いやはや、巧いことを言うよねぇ。

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丸善書店津田沼店 沢田史郎
丸善書店津田沼店 沢田史郎
1969年生まれ。いつの間にか「おじさん書店員」であることを素直に受け入れられるまでに達観致しました。流川楓君と身長・体重が一緒なことが自慢ですが、それが仕事で活かされた試しは今のところ皆無。言うまでも無く、あんなに高くは跳べません。悩みは、読書のスピードが遅いこと。本屋大賞直前は毎年本気で泣きそうです。読書傾向は極めてオーソドックスで、所謂エンターテインメント系をのほほ~んと読んでいます。本屋の新刊台を覗いてもいまいちピンとくるものが無い、そんな時に思い出して参考にして頂けたら嬉しいです。