『空へ』ジョン・クラカワー
●今回の書評担当者●進駸堂中久喜本店 鈴木毅
数年前、東北の山に釣り目的でキャンプに出かけた。
朝3時には目が覚めたが、テントの外はまだ暗く、日が昇るまで本でも読むかと手に取ったのがジョン・クラカワー『空へ』(当時は文藝春秋より。現在はヤマケイ文庫)であった。
本書は1996年に日本人女性を含む6人の死者を出したエヴェレスト登山史上最悪の遭難事故を、当事者であった著者が書き記した事故の全貌である。著者のジョン・クラカワーは、当時アメリカのアウトドア雑誌のライターであり、エヴェレスト登山の現状を取材する目的で登山隊に参加した。そのため、本書の前半はエヴェレストをとりまく登山事情とその問題や課題を詳細にレポートし、後半は自らが遭遇する危機と悲劇という二部構成になっている。
僕が自分の足で登った最高到達点は1915メートル。栃木県の茶臼岳。装備は体操着と運動靴である。
そんな僕でも世界最高峰はエヴェレストと知っている。8848メートルである。
初登頂はエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイ、その後、無酸素登頂して度肝を抜いたのがラインホルト・メスナーである。
当事者でありながら、ジャーナリストとしての著者の俯瞰した視点も併せ持った本書は、そんな僕の持っていた世界最高峰であるエヴェレストの登山のイメージを大きく覆すものであった。
本書で記されている1996年当時は、登山のガイドを請け負う会社が、エヴェレスト登頂希望者を募り、"顧客"の登頂を請け負う商業登山隊または営業公募隊と呼ばれるビジネスが一般化してきた時期であった。参加者はガイドを請け負う会社に6万ドル以上を支払い、ルート工作、キャンプ設営、物資の運送、登山計画など諸々を依託し、ガイドとともに頂を目指す。経験不足の顧客が大金を支払い世界最高峰に登頂するという、この登山の実態にまず驚く。
エヴェレストという世界最高峰の山は、すでに選ばれし者だけが辿りつける場所ではなく、観光地となっていたのである。
『現代ヒマラヤ登攀史』池田常道(ヤマケイ新書)によると、90年代にこうした公募隊の隆盛により、1シーズンに500人前後が頂上に立ち、登頂者累計は2014年には7000人を超え、二人のシェルパ(現地の登山ガイド)は21回も頂上に立っているという。池田氏は言う"かくしてエヴェレストは巨大なビジネスの場になって久しい。その善悪は措いても、登山の面からこの山を論ずる意味はもはや失われたと言うしかない。"とエヴェレストの現状に手厳しい。
その最たる例が高度8000メートル以上での登頂ルートの登山者の渋滞である。
『空へ』では、頂上への最後の難関であるヒラリーステップと呼ばれる12メートルの垂直の岩と氷の壁で登山者が渋滞し、登りの登山者が過ぎるまで著者は降りるのに1時間以上も上部で停滞を余儀なくされる。〈エヴェレストで孤独は貴重だ〉という著者の言葉がとても皮肉である。
"クライミングにおいて、パートナーを信頼できるかが関心の中心であるが、ガイド付き登攀の顧客としてサインした者たちは、信頼を寄せるのはパートナーではなくガイドなのだ"と著者はこの現状に違和感を抱く。
また、"登山の一番の価値は自助努力を旨としていることであり個人の責任において決断をなすことである。しかしガイドの顧客としてサインをした時点で、ガイドは顧客の安全の為、常に監督し、重要な決断を顧客にさせない"ことになる。
そしてベテランガイドのピーター・レヴの言葉が全てを語る。
"顧客たちの支払いは私たちの良き判断に対する報酬だと私たちは考える。だが顧客たちは登頂のための費用を払っている"
ガイドと顧客の費用に対する考えかたの違いがはっきりと判る言葉である。
それでも商業登山が貢献している面もあり、大量のゴミで埋め尽くされたベースキャンプなどの浄化運動は、一度きりの遠征ではない公募隊のガイドたちが一番の立役者であることも記している。
またヒラリーと初のエヴェレスト登頂を果たしたテンジン・ノルゲイで知られる現地人ガイドであるシェルパの過酷な状況も記している。ガイドだけでなく、荷役や、ルート工作など、西欧のガイドに比べると安い報酬で過酷な仕事に就く。しかし、シェルパたちもエヴェレストの登頂を目指す。それは直接的な動機は仕事の確保であり、登頂経験があればガイドの仕事を見つけやすいのだ。
忘れてはならないのが、超高所という極限の世界である。
5000メートル程度でも、少し歩くと息が切れ、寝ている姿勢からいきなり起き上がると目眩をおこす。酸素が乏しく、高山病にかかると、激しい咳や、頭痛、下痢、食欲はなくなり、無理矢理食べても、食物を代謝させるための酸素が足らず体がやせ細って行く。
そして8000メートルともなると気圧は平地の1/3以下、気温はマイナス26℃以下。酸素ボンベが無いと正常な判断をとることも容易ではなくなり、立っているだけで死に近づいていく。この高度は"デスゾーン"と呼ばれる。
"一歩間違えば死"という生易しいものではなく、"死の中に身を置いて"いるのである。
そんな世界で、著者が所属するロブ・ホール隊、そのライバルとなるスコット・フィッシャー隊、危なっかしい台湾隊、国家の威信を過剰に背負った協調性を欠いた南アフリカ隊、映画の撮影が目的のIMAX隊など、様々な背景を持った隊がひしめき合い、自己責任の名の下に職責を果たさないガイドや、上流社会を山に持ち込みベースキャンプにファッション誌の最新号が届く富豪の女性登山家など、後に迎える悲劇を考えるとあらゆる出来事が不安でたまらなくなるのだ。
そして本書の後半、それまでの些細な齟齬が大きな悲劇へと落ちる死の世界の一部始終は、途中で読むのを止める事が罪だと思わせるほど読む者に極限の現実を突きつける。
僕はこの本を読み終わりしばらく呆然として、ふとテントの外を覗くとまだ暗かった。すでに日が暮れており、なんと朝から晩までテントの中で読み続けていた。
この1996年のエヴェレスト大量遭難事故は、事の大きさから本書『空へ』以外に、英雄的救助をしつつも、ガイドとしての処置に疑問を持たれたアナトリ・ブクレーエフの『デス・ゾーン8848M ~エヴェレスト大量遭難の真実』(『空へ』文庫版ではブクレーエフについての追記がある)、奇跡的な生還を果たしたベック・ウェザーズ『生還』(K&Bパブリッシャーズ)などがある。ベック・ウェザーズの本は生還までの体験記であるが、『空へ』でガイドの仕事を非難されたブクレーエフの反論ともなる『デス・ゾーン8848M』は、極限状況の中、当事者たちの記憶の食い違い、立場からなる考え方の違いなど、双方からの視点で読み進めるのも興味深い。
エヴェレストを含む、8000メートル峰がひしめくヒマラヤを知るには、深田久弥の『ヒマラヤ登攀史 第二版』(岩波新書)が有名であり、またフィリップ・パーカー(編)/藤原多伽夫(訳)『ヒマラヤ探検史』(東洋書林)では登山と薬物利用についてなど本篇以外の登山コラムも面白い。また、エヴェレストといえば初登頂したか謎であったジョージ・マロリーのイギリス隊のエヴェレスト挑戦を描いたノンフィクション『沈黙の山嶺(いただき)上・下』ウェイド・デイヴィス(白水社)もおすすめである。
山岳映画ではシルベスター・スタローンの『クリフハンガー』(1993)が有名だが、僕が好きなのは『バーティカル・リミット』(2000)だ。
エベレストに次ぐ世界第2位の高峰「K2」の頂上付近で遭難した妹を救出に向う兄が主人公の山岳アクション。公募登山隊も登場する。ハードなものでは、エヴェレストではないが、アンデス山脈でクライマーの二人が極限状態の中から生還する『運命を分けたザイル』(2003)も壮絶。
そして『空へ』の事故を映画化した『エヴェレスト3D』が11月公開予定でとても楽しみしている。事故の全体像や、高所登山、そして営業公募隊の実態を本書を読む事でより深く映画を観られると思う。
現在のエヴェレストは、昨年4月にエヴェレストでシェルパを含むネパール人ポーターなど16人が亡くなる雪崩事故が起き、今年4月にはネパールでM7.9の地震が発生。エヴェレストのベースキャンプに四方から雪崩が直撃し20人以上が死亡。200人以上が負傷。地震の影響で昨年から商業目的の登山は閉鎖されている。
また今年9月にはネパール政府が標高6500メートル以上の高峰を制覇した経験のない登山者のエベレスト登山を禁止する規制を発表した。
本書の遭難事故から20年。エヴェレストの登山も大きく変わろうとしている。
- 『アメリカは食べる。』東理夫 (2015年10月1日更新)
- 『ツンドラ・サバイバル』服部文祥 (2015年9月1日更新)
- 『山怪』田中康弘 (2015年7月30日更新)
- 進駸堂中久喜本店 鈴木毅
- 1974年栃木県生まれ。読書は外文、映画は洋画、釣りは洋式毛バリの海外かぶれ。世間が振り向かないものを専門にして生き残りをかけるニッチ至 上主義者。洋式毛バリ釣りの専門誌『月刊FlyFisher』(つり人社)にてなぜか本と映画のコラムを連載してます。