『もうひとつのプロ野球』石原豊一
●今回の書評担当者●進駸堂中久喜本店 鈴木毅
高校時代に熱烈に応援していたのはヤクルトスワローズである。
野村克也が監督に就任しての2年目の1991年。11年ぶりの3位Aクラス、そして古田敦也の首位打者がかかった試合を友人に誘われて東京ドームで観戦し、僕はスワローズに魅せられた。
それまで、スワローズといえば、ホーナーや、広沢、池山、ワニを食べるパリッシュの三振トリオ、そして悲運のエース荒木大輔という、キャラクターは強いがチームは弱いというイメージであった。
しかし、東京ドームで見たスワローズは「勝つ」ことを目標としていた。そしてジャイアンツに勝った。ジャイアンツの本拠地東京ドームで、ジャイアンツファンの目の前で、僕たちはビニール傘を高く掲げて東京音頭を誇らしく歌ったのだ(スワローズファンは、点数が入ると青または緑のビニール傘を開き『東京音頭』を皆で楽しく歌うのだ)。
ジャイアンツという権威に、弱者スワローズが立ち向かう。気がつけば10代の僕は弱者スワローズに自らを重ねていた。
スワローズの本拠地は神宮球場である。
神宮球場を目指してJR信濃町駅を降りると、隠してたビニール傘とメガホンを表に出して神宮の森へと向かう。晴れているのに手に持ったビニール傘、肩からぶら下げたメガホン、僕らがこの場所にいてもいい理由があるのがとても心地よい。
そして聖徳記念絵画館の前を通り、バッティングセンターで一汗流してから、球場へ向かったものである。
スワローズファン御用達のこのバッティングセンターでは、たしか140km超えのバッティングマシンが鎮座していて、打てるかどうかではなく、140kmの玉をバントできるかどうかにチャレンジし、「川相はすげえ」と、なぜかジャイアンツの川相昌弘リスペクトが生まれたりもした。
いつだったかフジテレビの番組『プロ野球ニュース』で、このバッティングセンターの140kmマシンを打ち続ける少年がいると話題になった。
キャノンくんと呼ばれたその少年は、プロ野球を目指すという番組企画に発展したと思うのだが、それからどうなったのであろう。プロ野球を目指して本気で活動したのだろうか、それとも企画だけのヤラセだったのであろうか。
スワローズのファンは皆優しかった。家族のような、気さくに声を掛け合い、「岡田さん来ました!」との声の方を向けば、名物応援団長の岡田さんに周囲から拍手が起きる。
野球を見に行く時だけの上京なのに、神宮球場とその外苑は、東京の中でも親戚の家に来ているようなとても温かで、心地よい空間であった。
そんな都内でもホッとする場所は当時付き合ってた彼女とのデートコースとしても最適であった(都内でガイドブックを見ずにカッチョよくスマートに来られる場所が外苑しかなかっただけなのだが)。
球場内では試合前の練習時間、ジャイアンツの駒田がライトスタンド周辺でフライ捕球の練習をしていた。僕と友人はフェンス際で「ウマー」「ウマー」と駒田をからかっていた。すると突然駒田がこちらに向かって走ってきてスタンドに飛び込んできた。そして僕らの目の前に座ってこう言った「ウマはやめてよウマは。俺も頑張ってんだからさ」。驚いて駒田を見つめていた僕らは「はい!すみませんでした!」としか言えなかった。
目の前に座った駒田はとても大きくて、やっぱりウマだった。
この時から僕は川相より駒田が好きになった。
スワローズで一番好きな選手は山田勉である。
ある日、神宮球場の向かいにある野外練習場から球場入りする選手たちに遭遇した。古田、池山、飯田などの花形選手にファンが群がるなか、その脇をファンが誰ひとり声をかけることなく、背中を丸めて歩く大きな選手に目が止まった。ユニフォームを着ているので球団職員ではなく選手である。僕は何気なく「頑張ってください」と声をかけて握手の手を差し出した。なんと言ったのか覚えてないが、僕の手を力強く握り返してくれた男が山田勉であった。
僕が初めて握手したプロ野球選手であった。
そんな山田がカープ戦で16奪三振の完封をしたことがとても嬉しかった。
親に黙って産経新聞を契約して、販売員から貰ったカープ戦のチケットがその試合であった。
惜しいことをした。見に行けばよかった。先発が山田では勝てないと思ってたのに。
そんな山田はウィキペディアによるとプロゴルファーを目指し、ゴルフショップの支配人をしているらしい。
今回紹介する『もうひとつのプロ野球 若者を誘引する「プロスポーツ」という装置』石原豊一(白水社)は、「プロ野球」がいつの間にか、とても広義なものに変貌していたことにまず驚いてしまう。それまで「プロ野球」はセパ両リーグ合わせて12球団だけが「プロ野球」と思い込んでいたが、その12球団とは別に、「独立リーグ」と呼ばれる「プロ野球」がこの日本に存在していた。しかも3リーグも。
高校野球で甲子園で活躍するか、大学か社会人からスカウトに目をつけられドラフトを経てプロ野球選手にという、究極の選抜を通った、選ばれし野球人だけが入ることが許される「プロ野球」。しかし入った多くの人が夢破れて去っていく厳しきプロの世界「プロ野球」。
そんな夢破れた選手の再挑戦の場として機能しているのが「独立リーグ」かと思いきや、実は「独立リーグ」にもピンからキリまであり、「四国アイランドリーグplus」のような、セパ12球団やアメリカのメジャーリーグへの登竜門となる優れた独立リーグがある一方、本書のいう「底辺リーグ」の実態は、給与が支払われない「なんちゃってプロ野球選手」で構成され、選手のレベル低さやリーグ運営もお粗末さなど惨憺たるものである。
それでも、それら所属の選手たちは自らの可能性を信じて夢を追い続ける若者たちであった。
しかし本書は彼ら若者をこう分析する。
〝産業社会の成熟やグローバル経済の進展による、若者をめぐる雇用情勢の悪化は、すでに多くの識者によって述べられている。その結果増加した、正規終身雇用からも逸脱する若者や、そもそも正規雇用のレールに乗ることのできない若者による、社会からの逃避行動のひとつがノマド・リーガーという「プロ野球選手」なのではないか。〟
そんなノマド・リーガーと呼ばれる「野球浪人」とはトップリーグのチームから解雇された「元プロ野球選手」ではなく、高校の野球部を退部、高校さえをも退学した人間がとても多い。そんな彼らは「プロ野球選手」という夢を捨てきれず、独立リーグに入団し晴れて「プロ野球選手」となる。しかし日本の独立リーグで通用せず解雇され、夢を諦めるかと思いきや、今度はアメリカに渡り、アメリカの独立リーグに挑戦する。しかしアメリカの独立リーグも玉石混交。お金を払ってチームに帯同させてもらい、わずかな試合に出場させてもらい「プロ野球体験」を得るに留まる。
またそういった若者が後を絶たず、独立リーグを斡旋するブローカーまがいの「エージェント」が登場し、エージェント会社のホームページには、「『できる、できない』ではなく、『やるか、やらないか』だ」という自己啓発のコピーのような文言まである始末。
ある独立リーグで通用しなかった選手が、他の独立リーグで通用すると思うのが不思議ではあったが、元高校野球監督の言葉が深く頷ける。
〝プロに行けるレベルかどうかってのは、もう高校くらいでわかりますから。それに高いレベルでやればやるほど周囲も見えますから、自分の限界もある程度わかります〟
高校時代に野球からドロップアウトした若者が、トップレベルに通用しないことがどうしてわかるだろう。体感的に限界を知る機会は限りなく少ない。また、通用しないことがわかっているが、「プロ野球に挑戦する自分」自体がアインデンティティと化している場合もあるだろう。だからこそ社会からの逃避として悲しくも役立っているのがこの「もうひとつのプロ野球」なのである。
独立リーグでプレーしていた人物が、チームの寮の同室の選手から中学生の弟の自慢を聞いた数年後、その弟が大谷翔平であり、自らも日本ハムの球団職員として大谷翔平の広報担当となるエピソードなどは、野球に関わる仕事としてのセカンドキャリアの成功例であり、ホッと胸をなでおろすのである。
プロスポーツの「夢」には消費期限がある。その期限は短いが、とても濃密で大切な時間だと思う。1分1秒が有意である。それらの経験、キャリアが、現役引退後もスポーツビジネスとしてうまく機能し、若く優秀な人材をサポートをできる環境となるのが理想のスポーツビジネスであり、強いスポーツの裾野というものではないだろうか、と本書を読んで強く思う。
スワローズが2度目のペンナントレースを制覇した日本シリーズ。
相手は昨年同様ライオンズであった。
スワローズが3勝1敗での第5戦。勝てば優勝という試合に僕はチケットを買うために前日から球場前、前というか、いちょう並木までできていた列に並んだ。
球場に入り、試合が始まると緊張してあまり試合に集中できていなかった。
ふと気がつけば、1ー2で9回表になっていた。1点負けているとはいえ、最終回でサヨナラ勝ちでシリーズ優勝なんて最高ではないか!と余裕ぶちかましているところに、ライオンズの鈴木健が満塁ホームラン。最高の舞台で最悪の負け方を目の当たりにし、意気消沈して自宅に帰ると、部屋に手紙が置いてあった。
当時付き合っていた彼女からの別れの手紙であった。何もこんな日にと、悲しさが深く重なり何もやる気が起きず、その夜にサッカー日本代表の試合を死んだ目で見ていた。
ロスタイム、イラクの同点ゴールが決まった。
世に言う『ドーハの悲劇』であった。
試合に敗れ
恋に敗れ
夢に敗れた1993年10月28日は、
我が人生最悪の日として心に刻まれたのであった。
※選手名はファンが話すように敬称を省きました。
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- 進駸堂中久喜本店 鈴木毅
- 1974年栃木県生まれ。読書は外文、映画は洋画、釣りは洋式毛バリの海外かぶれ。世間が振り向かないものを専門にして生き残りをかけるニッチ至 上主義者。洋式毛バリ釣りの専門誌『月刊FlyFisher』(つり人社)にてなぜか本と映画のコラムを連載してます。