『災害ユートピア』レベッカ・ソルニット

●今回の書評担当者●進駸堂中久喜本店 鈴木毅

  • 災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)
  • 『災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)』
    レベッカ・ソルニット
    亜紀書房
    2,700円(税込)
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 全員が店の外に避難した。

 隣接するドラッグストア、パソコンショップに目を向けると同じように駐車場に人が集まっていた。
 駐車場からは車の盗難防止アラームが鳴り続け、隣の店舗のガラスが揺れでまだ大きくたわんでいた。
 避難したお客様は、立ち読み中の本や買い物かごを持ったままで、それを見てつい笑ってしまった。みな笑いながらスタッフに商品を返して、それぞれ帰って行った。僕は残ったスタッフとともに店の前で生まれて初めて途方に暮れるという体験をしていると、「進駸堂さんですか?」と声を掛けられた。
 ダイレクトメールの配達だった。
 こんなときでもDMは届けられるのだ。
 
 入口から店内を覗くと、薄暗い店内は棚から本が崩れ、通路は落ちた本でいっぱいだった。
 ツイッターで「今日は営業できそうにないです」と書き込んだのが、その日最後のツイートになった。

 1時間ほど経つと、休みのスタッフ、アルバイトだけでなく、すでに辞めている元アルバイトまでが店に来た。
 本部からも社員、スタッフが到着。なぜか皆笑っていたし僕も笑っていた。
 会社のスタッフ全員で夕方から復旧作業を始めた。
 皆、冗談を言い合い笑顔で作業をした。安堵、というより、なぜか楽しいと思った。
 停電のため、日没で作業は終了。
 
 その日の日報には朝礼の連絡のみ。売り上げの記入はない。
 
 帰宅すると自宅はなぜか停電してなかった。
 夜通し家族とテレビで東北のニュースを見続ける。
 テレビに映っている火災の映像を見ながら、明日予定していたサイン会の中止を先方に連絡する。
 ツイッターをチェックすると新発売のスニーカーの広告ツイートが目に入りイラっとした。
 
 翌3月12日、
 早朝より復旧作業を始めた。
 破損した什器を移動したり、痛んだ商品を拾うたびに気分が落ち込んだ。
 広辞苑とか、六法全書は棚に残っていた。重い本は落ちないのだ。
 作業中も本を買いに来る人がいた。

 綺麗になった通路を眺め、ホッとして、13時には営業を再開した。
 
 普段の店内ではジャズのBGMを流しているが、ラジオを流すことにした。
 ラジオではMCとコメンテーター二人がずっと東北の状況を話していた。
 福島第一原子力発電所で爆発があったらしい。
 ラジオのコメンテーターが「逃げたほうがいい。もうどうにもならない」とヒステリックにまくし立てていた。
 夕方、福島県から避難してきた人に地図コーナーを案内した。
 日報は「18時で閉店」のみ。
 
 3月13日、
 朝、出勤すると店の駐車場には東北各県のナンバーの車が数台止まっていた
 朝礼の連絡で「東北方面から来られた方へ、道案内できるように」と皆に指示を出した。
 
 震災があった3月。
 前年の3月と比べると大きく売り上げが伸びていた。
 多くの人がお店に来た。
 そして多くの会話を交わした月だった。
 地震があったときどこにいたか。
 なにをしていたか。
 それまで会話をしたことがなかった人と自然と会話を交わすようになった。
 
「家にいると気分が沈むんだよね。本屋に来ると人もいるし落ち着くし、安心するんだよ」
 
 それは僕も同じだった。

「ああ、"明日をも知れぬ"ってこういう状況をいうのか、と思いつつ、店にいると安心した」

 本屋が必要とされていると強く実感したのが震災だった。

 レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』(高月園子/訳 亜紀書房)は、震災が起こる直前に買った本だった。それからなかなか読むことができず、読み始めたのは震災から一年ほど経ってからであった。
 
 本書は災害時に自然にコミュティが形成される驚くべき事例を、1906年のサンフランシスコ大地震、9.11のニューヨーク、ハリケーンカトリーナのニューオリンズなどを例に記したものである。

〝災害のあとには、人間も利他的で、共同体主義で、臨機の才があり、想像力に富み、どうすればいいかを知っている何かにリセットされることを示唆している。パラダイスの可能性は、ちょうど初期設定のように、すでに私たちの中にあるのだ。〟という一文に、とても希望が持てたのを覚えている。

 そしてこの一文が胸に刺さった。

〝破壊的な影響を受けた人々が、その経験の中に、少なくとも何か救いとなるものを見出そうし、反対に、ほとんど被害を受けなかった人々は、狼狽のあまり、他の可能性になど思い至らないからかもしれない(おもしろいことに、災害の中心地から遠ざかれば遠ざかるほど、人々の恐怖は大きくなる。)〟

 本書を読んで、2012年の秋、僕は東北をバイクで巡った。三陸を見たかったからだ。宮古から仙台まで、沿岸部を下った。丸一日走って、その津波の甚大な被害を体で感じた。とはいうものの、とても後ろめたかった。道端で停まることさえできなかった。
「来るんじゃなかった」と後悔した。
 途中で食べた昼食はカキフライ定食だったけど、味はよく覚えていない。

 高台にある、津波の被害がなさそうなコンビニを見つけて、後ろめたく休憩を取っていると、おばあさんが近づいてきて声をかけられた(荷物積んだバイクはよく声をかけられるもので、それがより一層後ろめたさを増幅していた)。

 どこから来たのか? と言った軽い会話を交わしつつも、なぜ自分がここに来たのかを、言い訳でもいいから伝えないといけない気がして、「自分の目で見たかったんです」と僕は言った。

 するとおばあさんは、「来てくれてありがとう。人間、聞いたことはすぐに忘れてしまうけど、自分の目で見たことは絶対に忘れないからね。自分の目で見ることはとても大切なことですよ」と言ってくれた(方言だったけど、少なくとも僕にはそう聞こえた)。

 この言葉で、重石を取り除いてくれたように、気持ちがスッと軽くなった。

 暗くなってから仙台に到着した僕は、飛び込みでホテルを探すものの、どこも満室だった。ようやく空きを見つけたホテルはツインしかなく、仕方なく2万円以上を寝るためだけで散財する羽目になった。

 その日の仙台の夜は、ねんりんピックが開催されるということで選手や関係者と思われるジャージを着た年配の人々が夜の繁華街に繰り出していた。夜9時は回っているというのに飲食店は軒並み満席で、夕食をする場所さえも探すのに苦労した。
 1日中静けさの中にいた僕は、別世界のような仙台の賑やかさに圧倒された。
 ようやく一席なら空いているという店を見つけ、カウンターの端で身を小さくさせて食べた牛タン定食は、とても美味しかった。

 3月が近づくとあの時の三陸や仙台のこと、出会ったおばあさんを思い出す。
 また来年も、再来年も、それからもずっと、僕は思い出すだろう。

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進駸堂中久喜本店 鈴木毅
進駸堂中久喜本店 鈴木毅
1974年栃木県生まれ。読書は外文、映画は洋画、釣りは洋式毛バリの海外かぶれ。世間が振り向かないものを専門にして生き残りをかけるニッチ至 上主義者。洋式毛バリ釣りの専門誌『月刊FlyFisher』(つり人社)にてなぜか本と映画のコラムを連載してます。