『幽霊塔』江戸川乱歩
●今回の書評担当者●文信堂書店長岡店 實山美穂
3冊読み比べにチャレンジしました。いつもより長くなってしまいましたが、お付き合いください。
①A.M.ウィリアムスン『灰色の女』論創社(2008年刊)
著者ウィリアムスン夫人は、1869年にイギリスで生まれ、その後アメリカ人と結婚。『灰色の女』の原作が発表されたのは1898年のことです。女性作家として、アメリカでトップクラスの売り上げと人気を誇っていたのは、1900年~1910年頃でした。1933年に亡くなった後、作家としては忘れ去られてしまいます。
『灰色の女』の舞台は、イギリス。いわくつきの屋敷を購入するため、叔父の命令で主人公(テレンス・ダークモア、29歳)が下見にやってきます。その屋敷にいたのは絶世の美女。謎めいた美女の目的は?不思議な手袋に隠された左手の秘密とは?トラが現れたり、密室から人間が消えたり、首なし死体が出てきたり、ハラハラドキドキの展開と、過去の事件との関係は?
長い話ですが、テンポよく話が進みます。どんでん返しのラストにあなたも驚いてください。トリックについてコメントできないのが、ミステリーのつらいところですね。
②黒岩涙香『幽霊塔』
1862年生まれ。20代から出版活動をしていて、1892年に朝報社を設立。日刊『萬朝報』を創刊し、『灰色の女』を『幽霊塔』という翻案小説で1899年8月~1900年3月まで掲載。翻案小説とは、日本流に原文を扱うもので、読みやすく分かりやすくしたもの。それまでの堅苦しい文語体を流行に合わせて口語体にするため、朝報社の社員に下訳してもらい、涙香が自分の訳文にまとめました。原作の長さの70%程になっています。特徴は、"読者諸君よ"とか"読者はこの顔を誰のと思う"というように、読者を意識した文章が出てくることです。原作とストーリーに大きな違いはありませんが、登場人物が日本名のイギリス人になっており、舞台もイギリスです。作品半ばで、唯一の外国人(?)ユダヤ系スペイン人に、主人公(丸部道九郎、一人称は"余")が「英国の貴族でしょうが」と言われていて気が付きました。
この『幽霊塔』は、涙香の翻案小説の中でも人気の高い作品ですが、約100年もの間、原作が不明のままでした。というのも、『萬朝報』の人気を妬んだ他の新聞社の嫌がらせで、かつて他の作品の連載を中断させられたことがあり、涙香が故意に嘘をついたせいだと考えられています。判明するのは、1980年代半ばになってからなので、涙香もまさかそんなことになるとは思ってもみなかったでしょう。
③江戸川乱歩『幽霊塔』
1894年生まれ。母親が探偵小説を読んでいたため、幼少期から探偵小説を好んで読んでいました。1907年中学1年の夏に、黒岩涙香の『幽霊塔』に出会い、夢中になります。作家としてデビューして、明智小五郎という人気キャラクターを生み出し、流行作家として名を成した後、黒岩涙香の長男・日出雄氏に許可を取り、涙香の『幽霊塔』を書き直します。『幽霊塔』は講談倶楽部で1937年から約一年間連載されました。乱歩版『幽霊塔』は、涙香版よりもさらに短くなっています。
舞台は、長崎県。登場するのは、日本名の日本人です。主人公は、北川光雄。26歳、一人称は"私"。ストーリーの大きな流れは原作、涙香版とさほど変わらず、でも、乱歩らしい世界に仕上がっています。いわくつきの時計屋敷、謎の美女、幽霊、亡霊、魔術、人体改造など、ドキドキするようなキーワードのオンパレードです。読み手を引きつける乱歩らしい言葉が楽しくなります。涙香の翻案小説を新たに書き直した作品は、他に『白髪鬼』がありますが、その時は、原作も読んでいました。ところが『幽霊塔』の場合、乱歩が生きている間は依然変わらず原作が不明だったので、原作を知ることができませんでした。
これらの3冊を読むときは、③→②→①と遡って読むことをオススメします。乱歩版がコンパクトにまとめられていますし、一番カラーが強いので、ストーリーや登場人物を把握しやすいからです。内容を知っていれば、涙香の少し古臭い文章も、原作の長さも気にならなくなると思います。ということで、今回紹介したかったのは、岩波書店版です。宮崎駿の表紙が美しく、カラー口絵も楽しめます。桃源社版『江戸川乱歩全集』第13巻(1962年刊)を底本とし、中学生から読めるように振り仮名を増やして、原文の趣を損なわない程度に旧字体の漢字も新字体になっているので、乱歩初心者にもぜひ読んでほしいです。
私に英語の読解力があれば原作を洋書で読んでみたかったです。乱歩、涙香は研究本が多数出ていますので、興味がありましたら探してみてください。『幽霊塔』の原作が判明するまでのドラマは、それだけで探偵小説みたいですから。
さて、ここまで読んでいただき、ありがとうございます。充実した1年でした。読書の面白さを少しでも伝えられたでしょうか。読書を愛する人々の、読書ライフがこれからも続きますように。
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- 文信堂書店長岡店 實山美穂
- 長岡生まれの、長岡育ち。大学時代を仙台で過ごす。 主成分は、本・テレビ・猫で構成。おやつを与えて、風通しの良い場所で昼寝させるとよく育ちます。 読書が趣味であることを黙ったまま、2003年文信堂書店にもぐりこみ、2009年より、文芸書・ビジネス書担当に。 二階堂奥歯『八本脚の蝶』(ポプラ社)を布教活動中。