『♯鶴橋安寧』李信恵
●今回の書評担当者●農文協・農業書センター 谷藤律子
著者は大阪在住の在日コリアン2.5世。ライターとして活躍していたことからネット右翼の標的になっていく。
ツイッター上では毎日「朝鮮へ帰れ」「反日」「売国奴」など、ここでは書けないような誹謗中傷が毎日数十通~100通以上。街中で「朝鮮人を殺せ」などと叫ぶヘイトデモでも名指しで攻撃される。
ついに2014年、在特会(在日特権を許さない会)とその代表桜井誠、インターネットまとめサイト「保守速報」に対し、損害賠償を求める裁判を起こし現在も係争中。いまとりざたされているヘイトスピーチ問題にかかわる代表的なひとりである。本人はまったく望まずにしてだろうけれど。
本書で語られる彼女や在日への嫌がらせは読むのもしんどい。どこをどう妄想したらこんなひどい差別に夢中になれるのだとあきれる。
しかもそれを街中、特にコリアンタウンとして有名な鶴橋でも行うのだ。
攻撃されることを承知で著者は現場に向かう。「李信恵は殺していい」とスピーカーで叫ばれる。唾をはかれる。
何度も泣いて吐いて、帰ったら寝込んでしまう。
この本の執筆のために著者はなんどもヘイトデモの映像で事実確認をしたという。そこでまたフラッシュバックが起こる。
どんなに苦しい作業だったろう。しかし重苦しい事実を扱いながらもこの本には慈悲と希望もまたあふれている。
2013年後頃からヘイトデモには「カウンター」と呼ばれる、差別デモに反対する勢力があらわれる。ツイッターの呼びかけで集まる彼らはヘイトデモの現場に赴き、「差別をやめろ」というプラカードを掲げたり、トラメガで「レイシストは帰れ」などと応戦する市民の集まりだ。大声の応酬、もみあいで現場は騒然とする。実際に東京のコリアンタウン・大久保ではカウンターとの混乱をさけるためか、ヘイトデモ申請はおりなくなった。現実にヘイトを止めたのだ。このカウンターのめざましい活躍は本当に感動的だ。日本にはこんなに勇敢で良識ある市民がたくさんいるのだ。著者もその一人として街頭に立ち、仲間たちとつながっていく。
またヘイトをやめられない在特会側の人間を著者は心配したりもする。
「私は彼女(在特の女性)を知りたい。彼女は何を求めているのか。なぜかわからないけど無性に」
「腹を立てながらもいつも心のどこかで(在特の青年たちを)心配している自分がいる」
ヘイトスピーチは現在法的規制はなにもない。加害者と被害者でありながらほぼ毎週末、どこかの街で顔をあわせ時には会話もする彼らの心情に著者は思いをはせる。
差別する、される、闘う、無視してとおりすぎる......そこにはひとりひとりの個人がいる。かんたんに「する側、される側」でくくらない人間的な視線が、この本を全編重い現実から救っている。重い、でもどこかあたたかいのだ。
タイトルの「♯鶴橋安寧」はカウンターが使うツイッターのハッシュタグである。ヘイトのメッカになってしまった鶴橋にデモ予告がある度にカウンターたちが駆けつける。ヘイトが始まれば大声でやめろ、帰れ、と応戦し、街にヘイトスピーチが垂れ流されないようにする。その現場を報告する際の合言葉だ。安寧は朝鮮語でアンニョン。鶴橋が安全でありますようにという意味や願いがこめられている。
そう、鶴橋安寧、日本安寧。差別などなくし、世界が安寧でありますように。
- 『昆虫の擬態』海野和男 (2015年7月23日更新)
- 『小林カツ代と栗原はるみ』阿古真理 (2015年6月25日更新)
- 『ゆめのちから』盛田淳夫 (2015年5月28日更新)
- 農文協・農業書センター 谷藤律子
- 版元の農文協直営、日本で唯一の農業書専門店です。農林漁業・地域行政・環境・ガーデニング・食文化など農に関する分野を幅広く集めています。出 版界には長くいるものの、本社事務職勤務から当店への転属により書店員業はやっと2年生。となり同士でも別世界にように違う本屋ワールドは見るも の新しく、慣れないながら日々精進中です。また、書店員のほか個人で作詞家としても活動しています。趣味は沖縄芸能で、三線を抱えて被災地の仮設 住宅やデイサービスなどを仲間たちと旅一座でまわっています。
<農業書センター公式サイト>http://www.ruralnet.or.jp/avcenter/