『女体についての八篇 晩菊』石川淳
●今回の書評担当者●八重洲ブックセンター八重洲本店 内田俊明
「敬して遠ざける」という、便利な言葉がある。おもてむきには、あまりに尊敬すべきものには近づいてはいかんという、一見とてつもない敬意を払っているような意味だが、じっさいは「近寄りたくないから敬遠していました」というのを「敬して遠ざけてきた」と言いかえて、なんとなくカドがたたないようにするために使う表現だ。
私にとっては石川淳という作家が、まさに「敬して遠ざけてきた」存在だった。商売上たくさん読んでいる今を除いて、いちばん本を読んでいた高校生のころ、どんなもんかいなと手にとった石川淳の芥川賞受賞作「普賢」が、ずいぶん高尚な作品だなと思いつつも、あまりに大人の物語で、とっつきにくく感じられたのだ。それ以来、読んだことがなかった。
ただ石川淳といえば熱心なファンのいる作家であり、とくに年長の方と小説の話をすると、よく名前のあがる一人でもある。「内田クンはさだめし石川淳あたり好きなんだろうねェ」などと振られても、いや敬して遠ざけておりまして、とお茶をにごしこれまでやり過ごして、ただ複数の人にそう言われてきたので気にはなりつつ、高校時代から30年がたった今になって、ついに読む機会がやってきた。中公文庫から新刊で出た、安野モヨコ選・画『女体についての八篇 晩菊』というアンソロジーに、石川の「喜寿童女」が入っていたのだ。
これがめっぽう面白いお話だった。今でいうセックス依存症なのか、1000人以上の男と関係してきた芸妓が、77歳になってから仙術のちからで11歳の童女に若返る。これが若返っても、長年つちかったそっち方面のテクニックはそのままで、さらにあと66年間は見た目が11歳のまま生きられるという恐ろしい術。かくして1000人斬りの超絶テクニックをもつ童女が誕生してしまい、歴史のうらがわで不気味に生き続けるという...。なるほど、「キミ好きそうだねェ」と言ってきた皆さんはこういう作品を念頭において言っておられたのか、と納得した次第。たしかにこういうエグい奇譚は大好物だ。
それでここのところ石川淳を続けて読んでいる。何冊か読んで思ったが、おそらく「喜寿童女」は、漢籍に通じているらしい石川が遊び心で書いたものではないか。高校時代には解らなかった「普賢」は、作中の人物たちと同様に、ビールや焼酎をよく呑むようになった今ではよく解るような気がするし(?)、戦後すぐに発表された短編「明月珠」「黄金伝説」あたりの、恵まれない状況下でおくられる日常のなかに、生存への強い欲望がかいま見える描写には、かなりの迫力を感じた。まだ初期の作品しか読んでないが、もの凄い知識量に裏打ちされた巨大な作家なのだな、というのはよくわかる。
面白い新人作家が出てくるのも嬉しいが、こういう過去の未読作家を発見できるのも嬉しい。これからも石川淳を楽しんで読んでいきたい。
- 八重洲ブックセンター八重洲本店 内田俊明
- JR東京駅、八重洲南口から徒歩3分のお店です。5階で文芸書を担当しています。大学時代がバブル期とぴったり重なりますが、たまーに異様に時給 のいいアルバイトが回ってきた(住宅地図と住民の名前を確認してまわって2000円、出版社に送られた報奨券を切りそろえて1000円、など)以 外は、いい思いをした記憶がありません。1991年から当社に勤めています。文芸好きに愛される売場づくりを模索中です。かつて映画マニアだった ので、20世紀の映画はかなり観ているつもりです。1969年生まれ。島根県奥出雲町出身。