『女坂』円地文子

●今回の書評担当者●八重洲ブックセンター八重洲本店 内田俊明

 明治初期。栃木県庁で大書記官という要職を務める白川行友は、妻の白川倫(とも)を東京に向かわせる。若い女性を、表向き小間使い、実は愛人として邸に迎えるためである。

 正妻に、同居する愛人を探させるという、きわめて陰惨な場面から始まる『女坂』だが、円地文子は巧みな風俗描写により、読み手の嫌悪感をかろうじて回避する。1ページ目から「鉄線の蔓花」「連子窓」「花畳紙」「継羅宇の煙管」といった、今は見られない当時の日用品がテンポよく並べられ、また倫が初めて姿を現す場面では次のようにその容姿が語られる。

「縞ものに黒縮緬の五つ紋の羽織をどっしり着て、衣紋つきのいい撫肩の胸を少しそらせるようにして坐っている倫の様子には四、五年見ない中に、めっきり官員の奥さんらしい容態が具っていた。」

 こういう描写も実に簡潔でテンポがいい。(なお新潮文庫版ではわかりにくい言葉に注釈がついている。)

 とてもテンポよくカラッとした文章とは逆に、内容はどぎつく展開する。倫は傾いた商家の娘・須賀を金で買い、栃木に連れ帰る。行友は須賀を気に入るが、十五歳の須賀に対し、四十五歳の行友はその歓心を得るため、買い物や芝居見物をさせる。小間使いらしからぬ厚遇を与えられた須賀は行友を主人として慕うが、行友はそんな様子をみて、とうとう無垢な須賀を自分のものにしてしまう。

 須賀はもちろん悲惨だが、行友に須賀を与えた倫もまた、平静な気持でいるわけでは当然ない。行友に初めて須賀を引き合わせたときの倫は、次のように描かれている。

「...霞ませた瞼の下で白川の瞳が暗い水のゆれるような光をたたえている。それは白川がこのもしい女へ動き出す時の顔であった。倫は若いころの身も世もなくうれしかった自分の経験と共に、幾度となく血肉が蛆に変わってゆくような不甲斐ない苦しさで、他の女に動いてゆく夫のその眼色を見ることを余儀なく強いられている。」

"血肉が蛆に変わ"るとは、何とも凄まじい表現だ。妻である自分にほとんど関心を示さず、他の女性を求めるようになった夫に対する暗い情念が突きささってくる。しかし行友は須賀のみならず、新たな小間使いの由美や、息子の嫁の美夜にまで手を出してしまう。

 女性たちは行友に左右される自らを儚むのだが、互いを疎ましく思いながらも、彼女たちははっきりと対立しいがみ合うことはない。それが、出入りの商人に嫁ぐことが決まった由美と、須賀が心情を吐露しあう場面に代表される、奇妙な連帯感への傷ましさに通じる。のちに著者が現代語訳を手がける源氏物語に似た印象がある。

 他の女たちへの配慮や白川という家の維持に才覚を示す倫も、その如才なさゆえに傷ましい。倫は年老いても、大学生となった孫たちの不行跡の後始末に駈けまわり、ついには一回り年上の行友より早く死の床に就く。

 最期に倫が行友に対して口走る異様な言葉は、自由への希求と行友との訣別を、鮮やかに表している。
 

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八重洲ブックセンター八重洲本店 内田俊明
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JR東京駅、八重洲南口から徒歩3分のお店です。5階で文芸書を担当しています。大学時代がバブル期とぴったり重なりますが、たまーに異様に時給 のいいアルバイトが回ってきた(住宅地図と住民の名前を確認してまわって2000円、出版社に送られた報奨券を切りそろえて1000円、など)以 外は、いい思いをした記憶がありません。1991年から当社に勤めています。文芸好きに愛される売場づくりを模索中です。かつて映画マニアだった ので、20世紀の映画はかなり観ているつもりです。1969年生まれ。島根県奥出雲町出身。