『五重塔』幸田露伴

●今回の書評担当者●八重洲ブックセンター八重洲本店 内田俊明

 幸田露伴『五重塔』岩波文庫版には、桶谷秀昭氏の解説がついている。冒頭部分はこうである。

「幸田露伴は、明治二十二年から二十四年にかけて、求心的な文体をつよめていって、そういう求心性のつよい文体と釣り合う構成の佳作、秀作をのこした。/『五重塔』はその頂点に達した秀作である。」

「求心的な文体」......初めて聞く表現だ。求心的とか求心性とかいう言い方じたい、聞いた覚えがない。「求心力なら知っている。物理の授業で、「中央に集まろうとする力が求心力、中央から遠ざかろうとする力が遠心力と習うし、組織のトップとして有能な存在を指して「あの人は求心力があるね」とか言う場合もある。言われたことはないが。

「中央に集まろうとする文体?」

 さっぱりわからないのでググってみると、辞書の「求心」の項目に「求心的」という別項が立っていて、「思考などが内面に向かおうとする傾向。」とある。なるほどそういうことか、と納得しかけたが、でもそれ、内面的とか内省的とか言うのとどう違うの?

 この桶谷氏の文章全体は、『五重塔』という作品をとても的確に解説していると思うので、「求心的」という言葉も、それなりの意図をもって使われているはずだ。ここは作品をよく見てみるべきだろう。

『五重塔』は1905年発表。露伴の名声を確立した名作である。有能だが鈍重で他人からさげすまれ、小さな仕事しかしてこなかった大工の「のっそり十兵衛」が、谷中感応寺の五重塔建立という大仕事に自ら志願する。塔の建立は、世話になった親方の源太が手がけることが決まっていたにもかかわらず、である。源太は懐の深さを見せようと、のっそり十兵衛に共同での建立を提案するが、無口で頑固な十兵衛は頑として受け入れず、自分が単独で棟梁となって建てたいと主張する。

 事情があるわけでもないのに、源太の温情に逆らい、周囲の人々に怨まれ呆れられても、十兵衛が五重塔の建立にこだわるところが、物語前半の見せ場である。ここの十兵衛の心理に「求心的」の秘密がありそうだ。読んでみよう。

「人の仕事に寄生木(やどりぎ)となるも厭なら我が仕事に寄生木を容るるも虫が嫌へば是非がない。和しい(やさしい)源太親方が義理人情を嚙み砕いて態々慫慂て(すすめて)下さるは我にも解つてありがたいが、なまじひ我の心を生して寄生木あしらひは情ない、十兵衛は馬鹿でものつそりでもよい、寄生木になつて栄えるは嫌ぢや、......」十兵衛が自分の中に、自分はかくあるべしという規範をもっているのがわかる。その規範を目標(中央)としてそこへ向かおうとする精神を描いているから「求心的な文体」という表現になるのか、と納得した。

 確かに、単に「内面的」「内省的」と言うのとは違う峻厳さが、ここにはある。その精神は峻厳であるかゆえ、他人から見れば意地っぱり、エゴにしか見えない。そのギャップが、ドラマとなる。これは大好物なタイプの物語だ。これからはどんな小説が好きか訊かれたら「求心性のある物語が好きです。」と言うことにする。わかってもらえるかしら。

 最後に、後半の展開を簡単に紹介しておく。十兵衛は五重塔建立の棟梁になるが、源太の弟子の清吉に怨まれ、ナタで襲撃されて片耳を失う。それでも怪我をおして現場で奮闘する十兵衛の姿は求心力をえて現場はまとまり、ついに五重塔は完成する。だがそこに猛烈な台風が襲来して...擬古典文で読みづらいが、それでも読むべきドラマティックな名作である

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八重洲ブックセンター八重洲本店 内田俊明
八重洲ブックセンター八重洲本店 内田俊明
JR東京駅、八重洲南口から徒歩3分のお店です。5階で文芸書を担当しています。大学時代がバブル期とぴったり重なりますが、たまーに異様に時給 のいいアルバイトが回ってきた(住宅地図と住民の名前を確認してまわって2000円、出版社に送られた報奨券を切りそろえて1000円、など)以 外は、いい思いをした記憶がありません。1991年から当社に勤めています。文芸好きに愛される売場づくりを模索中です。かつて映画マニアだった ので、20世紀の映画はかなり観ているつもりです。1969年生まれ。島根県奥出雲町出身。