『恩讐の彼方に 忠直卿行状記』菊池寛
●今回の書評担当者●八重洲ブックセンター八重洲本店 内田俊明
私がいちばん小説を読んでいたのは高校生のときだが、もっぱら文庫は新潮、角川を買っていて、なぜか岩波は敬遠していた。岩波文庫は、たとえば日本の古典だと訳がついてなくて校注だけだったり、他社にほとんどない政治思想書が白帯で並んでいたりと、高踏的なイメージがあったからだろう。新潮角川がとっくに紙のカバーに替わっていた80年代当時、まだ紙のカバーではなくグラシン紙のみだったことも、岩波文庫の独自さをきわだたせていた。
あの頃に比べると、いまの岩波文庫は少しずつ変わってきてはいる。緑帯でいえば、久生十蘭や江戸川乱歩が入ったり、谷川俊太郎や大江健三郎といった存命作家が入るなど、かつては考えられなかった。ただ原則として評価の定まった名作しか出さないという独自さは保っており、そこが、今のように権威というものが疑われたり軽んじられたりしがちなご時世には頼もしく思える。
そういうわけで、その作品に、学者や評論家がどういう評価を与えているかについては、岩波文庫の解説がいちばんベーシックに理解できるということも最近知った。前々回とりあげた幸田露伴『五重塔』の桶谷秀昭解説における「求心的な文体」というのもそうだった。今回見つけたのは、菊池寛『恩讐の彼方に 忠直卿行状記』についている小島政二郎の解説だ。
「菊池は、小説にはテーマ(主題)がなければならないことを主張した作家である。(中略)/テーマ小説の主唱者である彼が、後に通俗小説において空前の大成功を納めたのはゆえあることだと思う。」
「テーマ小説」......また知らなかった言葉が出てきた。『大辞林』にはこうある。
「テーマの強調を主眼として他の要素をそれに従属させる小説。菊池寛や芥川竜之介の歴史小説などがあげられる。また,主義・主張など特定のテーマを扱う小説についてもいう。」
こういう概念があるとは、不勉強で知らなかった。菊池寛の場合は「規範やプロ意識と、自由な人間性の対立」ということになろうか。小島は「どういうふうに生きるのが正しいかという問題の提出」と言っている。
私は、登場人物が明確な意思をもって行動する物語が好きだという自覚を、それこそ高校生のころから持っている。ヒッチコックのような「巻きこまれ型サスペンス」は、面白いとは思うが好きではないし(不条理にひどい目にあっているのに、解決したからってメデタシメデタシはないだろと思っていた)、村上春樹作品が今ひとつ好きでないのも、登場人物に明確な行動意思がないからだ。
菊池寛の初期短編は、まさに「意思をもって行動した結果、意図しなかった結末を迎えてしまう」物語しかない。短すぎて喰いたりない面もあるが、「忠直卿行状記」「恩讐の彼方に」「藤十郎の恋」あたりは、テーマが物語のキレになっている点で大きな達成と思う。
さて、テーマ小説というくくりを今に生かすとどうなるか。池井戸潤は組織の論理と個人の幸せの対立を愚直に追求しているからテーマ小説と言えるかも。福田和代も常に職業人の誇りをテーマにしている。多彩な題材で長編を量産し、エンタメの権化ともみえる中山七里であっても、根底にはつねに「○○かくあるべし」という規範があり、それが作品の厚みになっていると感じる。
こういう見方、切り口、なかなか面白い。
- 『絹の変容』篠田節子 (2016年9月8日更新)
- 『五重塔』幸田露伴 (2016年8月11日更新)
- 『辺にこそ 死なめ』松山善三 (2016年7月14日更新)
- 八重洲ブックセンター八重洲本店 内田俊明
- JR東京駅、八重洲南口から徒歩3分のお店です。5階で文芸書を担当しています。大学時代がバブル期とぴったり重なりますが、たまーに異様に時給 のいいアルバイトが回ってきた(住宅地図と住民の名前を確認してまわって2000円、出版社に送られた報奨券を切りそろえて1000円、など)以 外は、いい思いをした記憶がありません。1991年から当社に勤めています。文芸好きに愛される売場づくりを模索中です。かつて映画マニアだった ので、20世紀の映画はかなり観ているつもりです。1969年生まれ。島根県奥出雲町出身。