『掃除婦のための手引書』ルシア・ベルリン
●今回の書評担当者●ジュンク堂書店滋賀草津店 山中真理
自身の波乱万丈の生涯が綴られた本に触れた時、その熱にのみ込まれて、魂まで奪い取られ、放心状態になることがある。それが読書の醍醐味、人の生涯に侵入するということはそういうことだと疑っていなかった。この本と出会うまでは。
2019年、ルシア・ベルリン彼女と出会った記念すべき年と言っても過言ではない。
ルシア・ベルリン、3回の結婚と離婚、4人の子どもをシングルマザーとして育てながら、高校教師、掃除婦、電話交換手、看護師などで働く。刑務所で創作を教え、のちに大学准教授になる。
母の愛に飢える、いじめ、学校から追放、アルコール依存症、母の自死、妹がガンで逝く。
その生涯こそ小説そのものである。
彼女の人生に根ざし、切り取られた短編集は、時にはユーモアで笑いの渦に巻き込み、アウトローであり、ロックであり、苦しさ、喪失さえも、重くひきずることもなく、知的で美しく響いてくる。
そのむきだしの声に吸い込まれると、その声すべてを欲してしまうことは間違いない。
例えば
「エンジェル・コインランドリー店
他人の苦しみがよくわかるなどという人間はみんな阿呆だからだ。
染色は固くお断りいたします(DRY)当店ならいつでも死ねます(DIE)
「掃除婦のための手引書」
サンパウロ通りに似ているからお前が好きだよとターに言われた。
ターはバークレーのゴミ捨て場に似ていた。
このどこにもない文章を宝物箱に閉じ込めて、事あるごとに浸りたい。
この声をすべて書き残し、日々噛みしめたい。
「どうにもならない」では、アルコール依存症で、お酒を求めて、徘徊するのだが、家で過呼吸が始まった時、本棚の本のタイトルを声に出して読め。エドワード・アービー、チヌア・アチュベー.........壁の本をみんな読んでしまうと少し楽になった。という具合に、崩壊と知が混在する。
セオリーは一切通用しない。最後の一行、突然の衝撃が襲う。あららと予測不能のところに連れていかれ、置き去りにされる。それが心地良いのだ。
「いい」か「悪い」なんて彼女の前では無力だ。その声が吹き飛ばす。その存在こそが超越させる。
彼女は決して読者に苦しみを分け与えない。持ってこない。自身の人生の喪失にどっぷりつからせない。何かすきまを作ってくれている。
非常に残念なのは、彼女が亡くなっているということ。私はその限りある声すべてに触れたい。
一生何度も読み返すだろう本書。私は彼女の声に出会えた喜びに満ちている。
- 『夏物語』川上未映子 (2019年8月8日更新)
- 『逃げ出せなかった君へ』安藤祐介 (2019年7月11日更新)
- 『トリニティ』窪美澄 (2019年6月13日更新)
- ジュンク堂書店滋賀草津店 山中真理
- 生まれも育ちも京都市。学生時代は日本史中世を勉強(鎌倉時代に特別な想いが)卒業と同時にジュンク堂書店に拾われる。京都店、京都BAL店を行き来し、現在滋賀草津店に勤務。心を落ちつかせる時には、詩仙堂、広隆寺の仏像を。あらゆるジャンルの本を読みます。推し本に対しては、しつこすぎるほど推していきます。塩田武士さん、早瀬耕さんの小説が好き。